朝からテレビを観てしまった。「マラソン・グランドチャンピオン パリ五輪代表選考レース」が、「男子」は5チャンネルで、「女子」はNHKで放映されていた。会場は東京で、かなりの雨が降っていて、選手の皆さんには気の毒な気がした。
降りしきる雨の中、選手は黙々と走り続ける。沿道には大勢の人が傘をさして、あるいは雨合羽を着て応援している。マラソンは古代ギリシアの故事に由来するとはいえ、2時間以上もただ走るだけの競技で何も面白くない。
マラソンは技を競う訳でも、チームワークを発揮する訳でも無い、ひたすら走り続けるだけなのに、なぜ私は見入っているのだろう。そう思った時、藤井聡太さんが八冠達成したことで喜んでいた自分を思い出した。
人はきっと、一生懸命に頑張る人が好きなのだ。自分ではとても出来ないことをやり遂げる人に憧れるのだ。だから興奮し、まるで自分のことのように歓び、素晴らしいと思うのだろう。自分を投影するというより、自分が出来ないから憧れるのだ。
電車の優先席に座り込んで騒いでいるヤンキーを見ると無性に腹が立つのに、年寄りが席を立ってお腹の大きな女性に席を譲る姿には胸が熱くなる。いや、ヤンキーが子連れの母親に席を譲るのもなぜかホッとする。
エレベーターで先に乗った人が「開け」のボタンを押していて、「何階ですか?」と聞いて階数のボタンを押してくれた時も、親切な人と一緒でよかったと思う。重い荷物を持った人に、「私が持ちましょう」と手を差し出す姿に温かみを感じる。
人は他人の姿に、思いやりを感じたり、凄いなと感心したりする一方で、不快に思ったり、怒りさえも抱く。どうせ生きているなら、他人に感動を与えられなくても、せめて良い人に出逢えた思われる人でありたい。