テレビは、「渋谷はハロウィンイベントの会場ではありません」という看板を何度も映し出す。渋谷の区長は、「渋谷に来ないで」とまで言っている。ハロウィンがこんなに騒がしい、話題の行事になったのはいつからだろう。
私が東京にいた時(1966)は、こんなに渋谷に若者が集まることはなかった。私は中学・高校の6年間、ルーテル教会に通っていたが、クリスマス・イヴに讃美歌を歌って街中を歩いたことはあった。復活祭のミサが教会で行われたことしか記憶にない。
ハロウィンをキリスト教の行事と思い違いしている人がいる。北欧にキリスト教が伝わったのは古代ローマ時代、そのためかカトリックはハロウィンに対して寛容だが、プロテスタントは非寛容を貫いている。
ハロウィンは北欧の民族が、収穫祭として行っていた行事で、10月31日の夜は冬へと切り替わる時ということから、悪霊に取り付かれないために仮装したと言われている。ハロウィンが祭りになったのは、アメリカに移民した北欧系の人々が仲間の結束から始まったとも言われている。
人間は祭りが好きなのだと思う。日本ではかつて、盆踊りといえば無礼講で、何が起きても咎めなしであった。子どもが生まれれば、村の財産として大切に育てられた。そうした羽目を外せられる機会が、人は欲しいのだ。
渋谷にたくさんの若者が集まり、仮装を見せ合うだけだから、ジイジには面白さが分からないが、露出した若い肌は美しいと思う。「せっかく世界的な文化になりそうだったのに」と閉鎖を嘆く若者もいたが、それなら、持続可能な行事にするために工夫をすればいい。
行事にはどうしても準備と後片付けが要るし、不祥事が起きないようにすることも大切だ。そうしてみんなが、「楽しめるハロウィン」にすればいいと思う。さて、我が家もハロウィンを祝って、赤ワインで乾杯しよう。