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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

それぞれに、それぞれの道がある

2023年10月04日 17時01分08秒 | Weblog

 芸術の秋の第2弾は、愛知県美術館で開催されている『二科展』の鑑賞である。二科の会員の知人が毎回、招待券を届けてくれるので甘えて見させてもらっている。二科の絵画部の責任者は、高校の教諭だった時の知り合いで、彼の家にまで行ったことがある。

 教員採用試験の実技では、彼は私の席の前だったので、その作品を見て、彼が採用されるなら私も大丈夫だろうと勝手なことを思っていた。私は工業高校のデザイン科の教諭に、彼は他の工業高校の美術教諭になった。私は名古屋市立工芸高校のデザイン科の教諭で、「美術手帖」でも取り上げられ、作家活動をされていた先生が目標だった。

 私が勤めたデザイン科では、作家活動は否定的な雰囲気だったので、勤めた初期の頃は油絵の個展を開いたけれど、いつの間にか止めてしまっていた。今日、久しぶりに東海二科の重鎮になっている彼と話していて、胸に突き刺さるものがあった。

 彼に、「どうしてガラス絵を描くようになったの?」と訊いた時だ。「北川さんにガラス絵を勧められたのが始まりだけど、結局は絵を描くことが好きなんだ」と言う。私も絵を描くことは好きだったが、大学に進学した時は美術科なら入れるだろうという安直な気持ちだった。

 それでも、絵を描く時はというよりも、絵を発表する時は、誰もが描けない、発想も技術も他の人とは違うものでなくてはならないと思い込んで来た。教員になって8年目の1975年3月に、内ゲバに巻き込まれて手足を打ち砕かれた。長い時間、絵筆が持てなくなったこともあって、物書きに転じたが、これは私に合っていた。

 必死になって他の人が描けない絵を探して来たが、地域新聞作りは私にとっては良き逃げ場だった。地域新聞は私にしか作れないものに仕上がっていった。でも考えてみれば、誰もが自分にしか仕上げられない人生を歩いてきたはずだ。それぞれに、それぞれの道があるのだ。

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