友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小田和正と小椋佳

2008年03月05日 22時46分08秒 | Weblog
 男性歌手の中にも随分高い音をきれいに出せる人がいて、音域の狭い(人に言わせると音痴と言うことのようだけれども)私にはうらやましい限りだ。ちょっと古い人の仲間入りになってしまうかもしれないけど、そんなひとりの小田和正は好きな歌手だ。テレビドラマの『ファースト・キス』の主題歌を聞いたことから、孫娘も小田和正が好きになり、CD『自己ベスト.2』を買ったので、よく聞くようになった。

 聞いているとほとんどが恋の歌だ。恋は誰もが1度や2度、あるいはそれ以上に何度も経験しながら、なかなか成就しない悲しいことが多いものだ。だからこそ、恋の歌を聞けばみんな納得できるし共鳴できるのだろう。作詞は小田和正自身だが、どうしてこんなにうまく表現できるのかと感心してしまう。「小説とか歌を書く人は、経験が豊富なんですか」と聞かれたことがあったが、これは私のカンだけれど、全く経験のないことは書けないかもしれないが、おそらくは想像力だろうと思う。

 経験も自分がしなくても、本や映画やその他にいろんな情報が溢れているから、そこから想像力が膨らませていける人なら、物語や詩が書けるだろう。その物語や詩が人の心を打つような作品となると、やはり並外れた才能の持ち主であることは間違いない。CDの最初の曲『こころ』ので出しは「人ごみをまぶしそうに 君が走ってくる」。その光景がはっきり見える。続いて「初めから分かっていた 君の代わりはいない」は君を見ている私だ。「確かなことは何も見つからないけれど 君が好き」。人を好きになるなんて、そんなものだと思う。

 この歌にはさらに、素敵な言葉がいくつも出てくる。「世界中でいちばん 大切な人に会った 今日までの そしてこれからの人生の中で」「あのね 生まれて初めてこんなふうに 誰かを幸せにしたいと思った」。全く飾り気のない普通の言葉だから、自分がそう言っているように思えてくるのだろう。4番目の『愛の中へ』の歌詞で一番気に入っているのは、「きかせて あなたの声を 抱かせて あなたの体を 心がことばを超えて 愛の中へ連れてゆくよ」の部分だ。すごく言葉なのにいやらしさがない。

 小椋佳は同世代なのでよく聞く。小椋佳の最新のCD『未熟の晩鐘』は正しく還暦を過ぎたのに、気持ちだけは若いつもりでいる老人たちの歌だ。それでも人は愛することをやめようとはしない悲しい生き物だ。「どうしようもなく 人が恋しくなり マグマの力で人を愛し始める」(『マグマ』より)。「君を讃えたい 讃えたいとはしゃぐ心が今嬉しくて 君に逢いたい 逢いたいと動く心が今嬉しくて」(『美味しい時間』より)。

 私がもっと若かったなら、こんな恋の歌を書くマネもできたかも知れないが、今はもう、人が作ってくれた歌に密かに酔いしれているばかりだ。次の文章はある人の言葉だが、とても心に残っている。「あなたの気持ちを知って、切なくて涙が出てきました。翼があるなら飛んでいって抱きしめてあげたい」。「あなたが幸せだと私も幸せを感じます。また、会いたい。神様 ごめんなさい」。
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