友々素敵

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世界恐慌は新時代への通過点だ

2008年12月11日 23時30分02秒 | Weblog
 ほんの4ヶ月前までは、景気は順調に展開していると報じられていた。大幅ではないけれども好景気が続いているとする分析であった。ところが、アメリカの金融危機がハッキリしてくると世界はいっきに恐慌へと向かってしまった。各国政府は消費税を引き下げたり、金融機関への公的支援に踏み切ったり、様々な経済政策でこの危機を乗り切ろうとしている。

 ソニーが従業員を1万6千人削減するという。トヨタも来年の生産台数を150万台減らすという。いすゞもシャープもキャノンも派遣労働者の受け入れをやめる。このため、派遣会社は労働者の雇用を取りやめてきている。中小の会社も大手会社からの受注が無くなり、労働者の首を切らざるを得なくなってきている。

 物が売れなくなれば生産会社は生産を減少させる。減少させるだけではなく次に生産にかかわる労働者を解雇する。サービス業でも同じだ。お客が来なくなれば、従業員を少なくして利益を守ろうとする。自治体はどうか、大阪府のように税収が伸びないからとまず働く人の採用をやめる。働き手を少なくすることで、どこもが生き残ろうとしている。

 人間が作り上げてきた社会、その頂点にある現代社会はこんなにも不安定な社会なのだ。資本主義社会は商品の売買によって生まれる利潤を基礎とした社会である。右肩上がりが続く限り、資本主義社会は発展を続けることができる社会だ。右肩上がりが続くためには、商品を買う人々が永久に増え続かなくてはならない。また、商品は絶えず新しく市場を沸かせ、これを購入する意欲が形成されなくてはならない。

 けれども、先進国では出産は増えないし、むしろ人口は減少傾向にある。購買力も新製品が登場しても爆発的な上昇になっていかない。日本の若者たちは私たちの若い時とは全く違う。私たちのような車に憧れを持っていない。車は走ればいいし、害があるなら使わなくてもいい。そこそこに暮らしていけるなら、必死で金持ちになるために努力するのはイヤだときわめて冷静だ。だから当然にも消費は落ち込む。したがって経済の高揚は望めない。

 私は、若者たちのような生き方がこれから多くなっていくのではないかと思っている。社会を政治の力で上から変えようとした時代があったけれど、歴史はそうではなく、当然だけれど人間の中身が社会の在り様を決めていくようだ。各国政府がどのような経済政策を取ろうと、この金融危機から始まった世界経済の危機を乗り越えることは出来ないのだろう。

 今、世界は社会の在り方を自ら根本的に見直す機会を作っているのだと思う。自然のなかでは嵐がきても収まるように、この恐慌も落ち着くところにたどり着くだろう。そうかと言って、犠牲者を多く出すことのないようにすること、そんな程度のことしか政治はできない。いや、政治は政治に求められたことを行なうことで、歴史にかかわることができる。だからこそ、政治は大事だと思う。
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