友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

医療も福祉も効率では計れない

2008年12月12日 22時17分28秒 | Weblog
 孫娘がテレビドラマ『小児救急』を見たいというので、時々録画したものを一緒に見ている。ドラマだからできるのだろうけれど、本当にこんな医者がいたらいいと思う。子どものために24時間診療を受け付ける「コンビニのような小児病院」が主人公の夢なのだ。今週で最終回だったかもしれないが、まだ見ていない。あの病院は存続できるのだろうか。

 小児科に限らず、医者は大変な仕事だと思う。長女も医療に係っているので、その大変さはよくわかる。生産の仕事なら今日はここで終りといえるものがあるが、サービス業はそういうわけにはいかない。ましてや医療となれば、一人の命がかかっているから今日はここでおしまいとは出来ない。

 仕事の一つひとつに莫大な神経を費やさなくてはならないし、それが当たり前に思われている。医者なら人の命を救って当然で、救えない医者はヤブと言われてしまう。最近はヤブ医者とののしるだけではない。医療訴訟が増えているから、医者は訴訟を受けないようにとそればかりに気を遣い、受身の医療になっている。

 今日もテレビで、広い山間部を有する公立病院の生き残りが報じられていた。大都会のような東京ですら、緊急患者の受け入れ病院がなくて死亡に至るケースがある。あんなにも大病院が林立し、優秀な医者がたくさんいるはずの東京で、地方と同じような事件が起きることが不思議でならない。

 医者不足というけれど、本当に医者は不足しているのか。そう思うくらい私が住むこの小さな街でもたくさんの医院が開業している。街の医院の医者はその地域ではたいてい長者番付のトップか少なくともベスト10に入る常連だ。高級車に乗り、ゴルフや海外旅行が趣味という恵まれた人たちだ。

 親戚の勤務医はほとんど24時間勤務に近いのに、収入は労働内容に比べてそれほど多くない。街医者の1次医療、公立病院の2次医療、大学や国立あるいは県立病院の3次医療と、国はその役割を定めているが、みんなが大きな病院へ行きたがる。これは患者である私たちがもっと医療の仕組みを理解しなければならない点だ。

 だから、極論になるかもしれないが、医療と福祉は全て国家公務員によって行なわれる仕組みにした方がよいのではないかと私は思っている。先ほどの山間部を抱える公立病院はどんなに合理化に努めても限界があるだろうし、だいたい効率を優先しては医療は成り立たないだろう。福祉だって同じことで、人の心の温かさが無いような医療や福祉は要らないし、実際それは医療とか福祉とか呼ぶようなものではないはずだ。

 金銭では計ることができないものがある。合理化や効率化だけでは成り立たないものがある。その成り立たないものこそが、政治の使命であり、行政の仕事だと私は思っている。医療や福祉や教育がそうであり、お金にならない文化も時には行政の後押しが必要な時がある。
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