夏の初め、植木鉢に見慣れない芽が出ていた。サルビア以外は苗を買って来て植えているので、何かと思い、別の鉢に植えなおして育てた。苗が大きくなってきて、昨年植えたケイトウ、日日草、マツバボタン、それに今年の春に植えた三色スミレだと分かった。ケイトウは昨年よりも大きく育ち、色も鮮やかである。これまでもこうした「ひとりばえ」があったのかも知れないが、雑草として除去してきた。
考えてみれば、次々と芽を出すランタナを鉢に移して育てているうちに70鉢にもなってしまい、さてどうしたものかと困り果てている。今年のケイトウの繁殖力から察すると、来年の初夏にはもっとたくさん芽が出てきそうだ。整然とした庭もいいけれど、私はジャングルのような庭が好きだ。マンションではそんなことは出来ない。せめて、出てきた芽はそのままにしてみようと思った。
外来種の駆除を至上命令のように言う人もいるけれど、確かにそのために生活を脅かされたりするケースもあるから一概には言えないが、そんなに神経質にならなくてもいいような気がする。地球の歴史はいつも混ざり合いだった。自らは動かないというか、動けない植物もいろんなものを媒介にして広がる。風や虫や鳥ばかりか、セイタカアワダチソウのように人間が作り出したものを媒介としたものもある。貝類にも船の底に着いて、世界中に移動したものもある。
人間もまた、移動し、そこで性交して増やしてきた。いろんな血が多く混ざり合っている国の民は優秀な人材を多く排出している。人間の移動で、動植物もかなりの数が移動した。トマトやジャガイモは南米からヨーロッパの主要食料となった。そればかりか、中東へ攻め込んだ十字軍は天然痘を持ち帰り、さらにアメリカ大陸に渡った西洋人によってアメリカ先住民にも感染させた。逆に、アメリカ先住民から梅毒をもらってきて、この性病は瞬く間に世界中に広がった。
今、エボラ出血熱の危機が国際問題になっているが、これも人間社会と深く関係があるという。人々はジャングルを切り開き、農地にしたり、鉱物資源を開発したりして、眠っていたウィルスを呼び戻したという説である。外来種云々どころの問題ではないが、混合は人間社会にはつきもののようだ。庭に出て、花を眺めながら、人間はどこまでも罪深い存在だなどと呟いてみる。
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