友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

カミさんの父親

2014年08月13日 18時36分37秒 | Weblog

 高校野球、夏の甲子園大会が始った。和歌山県の和歌山高校と鹿児島県の鹿屋中央高校の試合は激戦だった。両チームの投手がしっかり投げ、バックが粘り強く守り、初めての延長戦となった。12回の裏、守る和歌山は1回から投げ続け、再三のピンチを切り抜けてきた投手がマウンドに立っていた。攻める鹿屋中央は1死ながら走者1塁、3塁と好機を迎えた。打者は交代してから失点のない二人目の投手。打った球は2塁手の前、打球の勢いは強烈だった。2塁手は果敢に飛び出し、難しい姿勢で補給すると振り返って1塁に投げた。

 「アウト」。けれど、3塁走者はホームベースを踏み、ゲームセットになった。2塁手は3度もダブルプレーを実現し、チームの危機を救ってきた。ホームベースに向かって投げれば、タイミングとしてはアウトだった。大歓声が沸きあがり、ゲームセットが宣告され、初めて1塁に投げたミスに気付き、後はもう涙、涙が止まらなかった。一生懸命なプレーが続き、見ている側は高校野球の醍醐味を堪能した試合だった。誰が悪いわけではない。チームメイトは泣き続ける2塁手を抱きかかえ、慰めていた。悔しかっただろう、けれど責めることは出来ないだろう。

 昨日はカミさんの実家へ出かけ、仏壇に参ってきた。カミさんの父親は警察官で、警察組織が変わり学歴が尊重されると、本署ではない派出所勤務を希望した。そこで陶芸家に出会い、自らも陶芸に親しみ、自宅に窯まで作るほど打ち込んだ。作品は作家級と思うけれど、売ったりすることはなかった。一度だけ画廊で作品展を開いたが、作家の皆さんも見に来て、評価も高かった。私が内ゲバに巻き込まれて重傷を負った時、義弟に「お父ちゃんのせいか?」と聞いたという。退院後も、何も変わらず接してくれた。事件のことで非難することはなく、口にすることもなかった。

 カミさんの父親に報いたいと思ったけれど、充分に出来る前に旅立ってしまわれた。私は高校の時に両親を亡くしていたので、カミさんの父親と一緒に酒を飲み、父親が語ることに耳を傾けた。一生懸命に生きてきたのだから、人生はそれで充分だと思うけれど、父親はきっとそれではダメだ、まだ足りないと思っていただろう。けれども、残り少なくなってくると、子どもたちやそのつれあいが幸せになるようにとばかり口にしていた。どこで何が起きるか分からないけれど、一生懸命に生きているならそれでいいと言っていそうな気がした。

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