カミさんの妹が「私、そんなに長くは生きられないと思う」と言うので、「えっ」と聞き返した。「なんとなく分かるものじゃーない」と真顔で言う。死の予感ということを聞いたことがあるが、義妹からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。「まあ、いずれはやって来るけど、それは神様が決めることだから」と言うと、「そうね、死ぬまではちゃんと生きなくちゃー」といつものお茶目な顔で言う。
義妹は68歳、ひとり息子とふたりで暮らしている。障害のある男の子の介護を仕事にしてもう長い。朝6時から送り出すまでの世話だが、男の子は身体を動かすことの出来ないし、言葉を発することも出来ないし、食べるものも流動食のようにして食べさせているそうだ。優しく面倒みがいいからその子の家で頼りにされている。義妹も男の子を小さな時から世話しているので、可愛く思っているみたいだ。
先日もテレビで、兄妹が共に障害のため寝たきりの家庭のことが報道されていたけれど、よく世話できると感心した。私ならきっと、決してよくならない我が子の世話に疲れ果ててしまうだろう。エライなあと思うし、社会がもっと手助けすることが出来ないのかと思った。昔、中学のクラス会に、成績がいつも1番だった女の子が子どもを連れて参加してきた。その子には障害があり、「この子より先には死ねない」と言った彼女の言葉が重く胸に残っている。
神様は残酷なことをする。それは罰とか戒めではなく、人間に対する問題提起である。人間は世界を征服したけれど、抱えてきた課題は数多いのに気づかないふりをしてきた。人間が自ら解決しなければならない諸々が何であるかを神様はいろいろな形で示している。戦争も貧困も病気も差別も‥。人間の弱さをカバーするものは、愛という感情だろうけれど、愛もまた不確実なのはどうしてなのだろう。
明日は夏祭りの第1弾のため、ブログは休みます。
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