NHKテレビの朝のドラマ『とと姉ちゃん』の戦後編が始まった。戦災後の東京はもっと荒んでいたのではないか、人々の服装や暮らしぶりも考証が足りないように思うけれど、絶望的な環境の中でも黙々と生きていく人々のたくましさは感じられる。1964年は東京オリンピックの年だが、都心からちょっと離れた練馬区ではまだ「ドボントイレ」だった。
「女性の暮らしに役立つ」ことを念頭に、「とと姉ちゃん」たちは雑誌作りに取り組んでいく。雑誌が闇市で売られるものだとは知らなかった。本屋そのものがまだ多くなかったのだろう。本屋に並べられる雑誌になるにはある程度の知名度というか信用がなければならなかったのだろう。それにしても、3姉妹で始めた雑誌がどのようにして全国誌になっていくのか、興味深い。
ドラマは『暮らしの手帳』の第1号が発行されるところなのだが、なんとなく手がかりらしいものがある。それは雑誌作りに対する「とと姉ちゃん」たちの態度だ。雑誌の記事を書くために取材を行うが、その取材が徹底している。見たものをきれいにまとめ上げるのではなく、納得するまで聞き調べ、みんなが分かるように書く。そんなことは当たり前のことだが、実は取材もしないで記事を書く記者もいる。
私がこの土地で地域新聞を始めた時は、自分一人で取材し記事を書き割り付けをした。それに広告集めと集金まであったから、休む暇がなかった。ひとりで5年間続けられたのは、記事を自分で見つけ、取材させてもらい、納得いくまで聞き、記事にしたことだと思う。発行したばかりの新聞に向こうからネタが来ることはないから、街を歩き回って探す他ない。それを5年も続け、「取材に来て」と言われるようになった。
「とと姉ちゃん」たちの苦労が我が身と重なる。社会から認められるようになることの大変さがよく分かるだけに、こうすれば絶対に認められるだろうというものを感じることがある。企画力は時代を感じる敏感力から生まれるからだ。
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