友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

鏡開き

2017年01月11日 18時05分02秒 | Weblog

 鏡開きの今日、お餅をぜんざいでいただいた。丸い餅を2段に重ね、上に橙を乗せて繁栄を祈るものだけれど、今では鏡餅の置物風のものがある。中に丸い餅が入っているが、決してカビが生えたり硬くなったりしない。私の家は材木屋だったから、年末に親族が集まって餅を搗き、祖母が見事な手さばきで鏡餅を作り、事務所の一番目立つところに置いた。ウラジロはもちろんだけど、橙だけでなくいろんなものが飾られていたように思う。鏡開きの時は祖母がぜんざいを作って食べさせてくれたが、餅が硬くて切れなかった記憶がある。

 成人式も私たちの頃とは大きく変わった。前日に中学校の友だちが我が家に来て酒を飲んでいて、そのまま雑魚寝だったので式場に向かった時は既に終わっていた。だから式典がどんなものだったのか、みんながどんな姿だったのか知らない。会場から戻って来る女の子の大半は着物姿だったが、男はどんな姿だったのだろう。私は大学の入学式は高校生の時の詰襟で、1年間は詰襟のまま通ったし、背広を買ったのは大学を卒業してからだから、いったい何を着ていたのだろう。

 成人式の日から何日も経ないうちに我が家は倒産し、兄貴たちは家を出ていき、私は姉に妹のことを頼んで大学の先生の家の書生になった。近所の子の家庭教師は無くなったが、別の所で子どもたちに絵を教える仕事が舞い込んできた。授業料免除と奨学金とアルバイトで生活に困ることはなかった。苦労した覚えもない。自分が他の学生と比べて特別な境遇に置かれていると思ったこともなかった。

 先日、ピンチヒッターで大学の教壇に立つことになったが、学生の殆どは寝ているかおしゃべりしている。「いくつ?」と聞くと、「19」と答えてくれたから、今年の成人式に参列しているだろう。「何時に家を出てきたの?」と聞くと、「5時」と言うから眠いはずだ。長女も看護師を辞めて途中から大学へ通ったけれど、下宿するより通った方がお金がかからないからともっと早く家を出ていた。若いうちは何でも出来る。何が自分に向いているかは分からない。やるしかないのが人生のようだ。


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