友だちが「中原中也の詩集、持ってない?」とメールして来た。本棚を探してみたが見つけられなかった。それで、「ボードレールの詩集と谷川俊太郎の詩集ならあるよ」と返事をすると、「見たい」と返信があった。
今朝、持って行った。友だちは身体が不自由で、家の中にも手すりがあり、それを伝ってゆっくりと歩いて来る。「なぜ、中原中也の詩集が見たいの」と聞いてみた。「高校生の頃、みんなで読んで、いろいろ言い合ったじゃーない」と言う。
確かに、私も好きだった。題名は忘れたが、とても自虐的な詩だった。「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる」。中原中也は京都で年上の女優に恋して、30歳そこそこで死んでしまった。
華やかな舞台に上がることなく、生涯を閉じた悲運が、高校生の私たちの心を掴んだのだろう。「働けど働けど なお我が暮し楽にならざり じっと手を見る」と歌った石川啄木と共通するものを感じていた。写真で見るふたりは、痩せていて神経質な面影がある。
そんな高校時代の話からグンと飛躍して、彼は今、スマホで古典などの作品を聴いていると話す。NHKで無料朗読が聞けるからと、私のスマホを操作してくれたが、「娘さんか、お孫さんにやってもらった方がいい」と言う。
私の中学からの友だちも、新聞はもっぱらスマホで読んでいる。凄い時代になって来た。本や新聞が売れないのも当然だ。それでも私は本が読みたくて、彼の持っているハン・ガンさんの『採食主義者』を借りてきてしまった。
家に戻るとスマホに女友だちから、「伊予ミカンが届いたから」と電話があった。寒い冬も終わりに近づいている。明日は孫娘が曾孫を連れて来る。いつまでも家に籠っていずに、私もどこかへ出かけたい。
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