お盆が過ぎると、朝晩は涼しくなった気がしていたが、なかなか猛暑から抜け出せない日々が続いている。お盆は嫁にいった叔母の家族が我が家に集まり、祖母がその接待に追われていた。私の母がその場に出てくることは無かったが、私は甥や姪の遊び相手だった。
子どもたちがお盆に来るまで、あるいはお盆の行事が終わって帰ってしまうと、私はやることが無くて、家の周りでボーとしていることが多かった。家の周りにも同年の子どもたちがいたが、いつも一緒に遊ぶ子はいなかった。私はひとりが好きだったのか、あてもなく街中をブラブラして過ごしていた。
小学校の高学年からはひとりで、バスに乗って緒川まで行き、国鉄で半田へ、そこから名鉄の半田駅まで歩き、電車で河和へ、そこからまたバスで豊丘へ行き、母の実家へ行った。母の実家に男の子はいないので、家の周りをブラブラ歩き、1泊して海岸近くの母の妹の家に行った。そこには私より年上の男子がふたりいて、魚の捕り方やヤギの乳の絞り方を教えてもらった。
上の甥は京大志望、下の甥は東京の大学を受験すると言っていた。勉強のことや読むといい本のことなども、聞いたのかも知れないが覚えていない。東京の大学へ行った甥は、私が高校1年の夏休みに我が家に来て、「日本は変わるよ。東京の大学へおいで」と、60年安保について篤く語ってくれた。もう何年も会っていない。
退屈な夏休みなのに、宿題もましてや勉強もしなかった。せめて本でも読めば良かったと、今になって思う。出された宿題は夏休みが終わる直前に一夜漬けでやっていたから、ただ提出しただけだった。中学3年の時はそれさえも出来ず、担任に「宿題は出しません」と言った。怒鳴られるかと思ったが、何も言われなかった。
私は子どもたちには、退屈な夏休みにならないようにと気を遣った。宿題については何を言ったか覚えていない。明日は久しぶりに、マンションで親しくしている家族の食事会のため、ブログは休みます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます