最近はいろんなアジサイを見るようになったが、私は昔からある青い色のアジサイが好きだ。我が家のルーフバルコニーに、今は3鉢のアジサイが残っているが、花の時期が終われば切り捨てて処分し、鉢を空にするつもりだ。
空中の庭園をバラ園にしようと、少しずつ鉢を増やしてきたが、それも今は2鉢だけになった。このバラも花が終われば切り倒し、根を取り出し、鉢を空にすることになる。我が身の限界が見えてきたようで、寂しくなるが仕方ない現実だ。
今日は「父の日」、ふたりの娘からプレゼントが届いた。気遣ってくれて、ありがとう。「父の日」は何時から始まったのだろう。私の子どもの頃、「父の日」に何かをした覚えがない。祖父のことは嫌っていたのに、街で有名な和菓子屋で菓子を買いプレゼントしたことがあるのに。
父の日記や雑記類など、未だに処分出来ずに棚の奥に仕舞ってある。若い時の父は、小説家になりたかったのだと姉から聞いた。教師だった母は生活の支えだったようだ。けれど、小説家になることも無く教師として務め、若くして校長にまでなった。
校長室に花が活けてあり、校庭から聞こえてくる女教師の声に、「花を活けてくれてありがとう。あなたの声に心躍ります」などと日記に書いている。姉が言っていた浮気していたという女教師なのだろう。
父は無口の人で、家にいる時は本を読んでいるか、小さなスケッチブックに本に載っている写真や挿絵を描いていた。父が校長をしていた学校には官舎があり、そこへ連れて行ってもらった。その学校の校医が、「養子に欲しいと言っているが、行くか?」と聞かれた。血を見ると震えてしまう私は、「医者にはなれない」と答えた。
父は自分が、自分の道を進んだからか、子どもに無理強いはしなかった。高校2年の時、有志で新聞を作った時は、学校から処罰があることを覚悟しているようだった。高校3年の夏休みに、「旅行がしたい」と言っても止めることもなかった。
「お前のやりたいようにやればいい」。そんな言葉を父から聞いたことは無かったが、きっとそんな風に思っていたことだろう。我が家にも青い色のアジサイが何本かあったのを思い出した。
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