「チェコ、たくさんもらいましたか?」と昨日、診察の時にかかりつけの医師に声をかけた。いつも私に「運動してくださいね」と声をかけてくるから、そのお返しである。するとまだ、40代であろう医師は、「1つもないですよ」と苦笑する。看護師さんも受付さんもみんな女性なのに。そこで診察券を返してもらった時、受付嬢に「先生、バレンタインなのにチェコ1つもないんだって」と話すと、「えっー」と彼女は笑い出した。
カミさんにそのことを話すと、「そんなことを言う人はあなたしかいません」と叱られてしまった。若くハンサムな医師でもチェコがもらえないのに、私はカミさんの友だちと4歳の孫娘から、「心のこもったチェコ」をもらった。そこで昨夜は、仙台の次女から送られてきた山形産のスパークワインのロゼを飲み、ワインに合う料理という、鶏肉のトマト煮とサーモンのバター焼きとアボガドの生ハム巻きをいただき、最後にデザートのチェコを食べた。
今日の午後、市議なった友だちがやって来た。これからひとり暮らしの高齢者が増えるだろうから、行政としてどういうシステムが必要かという話から、次の選挙で市長が変わり市議の多くが入れ替わり、市政の担当者が様変わりするだろう話になった。「民間ならトップが退職すれば、その影響力は途絶えるのに、行政は国会議員、県会議員そして市議とつながる体制が維持されていく不思議なシステムですね」と彼は言う。
権限が集中し、利権に群がるピラミッド体制が日本の政治を動かしてきた。そこにメスを入れるのは並大抵ではできない。街づくり、国づくりの前に、私欲が幅を利かせている。群がるハイエナのようにおこぼれにありつこうとする。なぜ「理想」がないがしろにされ、損得だけが先行してしまうのだろうか。それは「人間の本性」と言い切ってしまう人もいるが、逆に、人間ならばこそ「理想」をもっと大事にすべきではないかと思う。
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