友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

キング牧師のこと

2015年11月04日 23時26分56秒 | Weblog

 今日は朝からよく働いた。頼まれていた「夏祭りの会計報告を清書して欲しい」を仕上げた。チューリップの球根をすべて植えた。粗大ごみをマンションの集積場まで運び出した。次回の大和塾のチラシを封筒に詰め、糊付けした。1つ1つは大したことではないのに、おかげでブログを仕上げる時間がこんなに遅くなってしまった。晩御飯の時はお酒を飲むのが我が家の習慣なので、酔いもあってなかなかパソコンが進まない。

 NHKBS『ザ・プロファイラー』でキング牧師を取り上げていた。懐かしい気がして、つい見てしまった。私がキング牧師の名を聞いたのは19歳の時、1963年のワシントン大行進の演説「I have dream」だった。アフリカから暴力的に連れて来られた黒人が、本当の意味で白人と平等になれる。『アンクル・トム』のように、黒人だからと差別されることがなくなると思った。

 法律で平等を実現しても、実態はそうならない。なぜなのか、キング牧師は分かっていたのだろうか。黒人運動の過激な指導者マルコムXは、キング牧師の非暴力運動は白人に膝まづくものだと批判したが、世界に広がったイスラム教が黒人もアジア人も白人である中東の人々も平等に受け入れているを知り、全ての人間の平等を実現することに考え方が変わった。キング牧師の言う「非暴力は弱さの表れではなく、強さなのだ」を受け入れるようになった。

 民主主義は多数決で決められる。ならば、多数になればいいはずだが、多数が正義とは限らないし、多数になることで本当の大事を無視することもある。黒人たちが「I AM MAN」とプラカードを掲げて行進するのを、白人のみんなが快く思わないわけではなく、賛同する白人もいる。黒人の中にも、運動の方法を巡って対立した意見があるし、無関心を装う人もいる。黒人も白人もアジア人も、「人は全て平等」は真理なのになぜそうならないのだろう。

 結局、教育が大事のようだ。人はそれぞれに違うが、違いがあってもいい、それを理解することから次のステップが始まる。まだ、分からないがきっとそうなるだろう。マルコムXもキング牧師も凶弾に殺されたが、歴史の歩みはどんなに遅々であっても進んでいる。


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