私がこの街に移り住んだのは1976年だった。三河から尾張に来て、土地の人からは「きたりど」と呼ばれる新参者だった。けれど、何年か経るうちに、新参者ばかりでなく地元の人とも友だちになることが出来、子どもたちの故郷となるこの地が好きになった。
9年後の1985年、地元の有力者の後ろ盾を得て、月2回の「地域新聞」を発行することに至った。創刊趣意書に、「この町に住み、この町を愛するあらゆる人々の生活にスポットを当て、その素晴らしい生き方、生活の喜びを報道いたします」と書いた。
「人の和も、人を知ることから生まれるのではないでしょうか。昔から住んでいる人と新しくきた人との垣根を取り払う共通の場、私たちのこの町をどうすれば豊かで住みよい町にすることができるか、みんなで考えていく共通の場、となる地域の情報紙」を目指した。
「どこの誰」は重要なキーであったし、本人のOKが得られれば年齢も表した。「新聞に出てたネ」とか、「そんな凄い人だったんだ」とか、町で話題になるように気を配った。声がかかればどこへでも取材に出かけ、自分でも街中をよく歩いた。
新聞記事の書き方や新聞の割り付けは、高校生の時、学校新聞の印刷を託していた名古屋タイムズの人に教えてもらった。5W1Hがハッキリしない記事は、その場で書き直すように指示された。「記事は出来る限り短く書け」と何度も言われた。
その教えが今も残っていて、このブログも800字以内で書くように努めている。
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