横綱の朝青龍が「年末にはモンゴルに帰りたい」と言ったことで、またしても痛烈な非難を浴びていたことがあったが、結局は朝青龍が「帰らない」と言い直したことで終わったのだった。どういう結末になったのか、正確には覚えていない。私にはなぜ非難するのか理解できなかったからだ。朝青龍がどうしてモンゴルに帰りたいと言ったのか、その理由は確か「子どもに帰ると約束したから」というものであったと思う。
これに対し、相撲協会も世間も「謹慎が解けたばかりで、なにを言うか。全く精神がなっていない」と非難していた。朝青龍にしてみれば、そもそもなぜ謹慎処分を受けなくてはならないのか理解できないのだから、プロ野球の外人選手が子どものためとか親のためとかで、国に帰るのは美談扱いされるので、ちょっと言ってみたに違いない。
プロ野球解説者の中には、「個人の理由でこの大事な時に戦列を離れるのは許されない。プロとしての精神がなっていない」と、そんな意見の人も多かった。相撲道なるものは、もっと厳粛で清らかなものでなければならない、そんな風に考えている人も多いようだ。私は相撲道なるものを知らないし、プロといわれるスポーツはお客に見せるためのスポーツなのだから、「道」などともったいぶったものはいらないと思っている。
スポーツの最低限の決まりは、フェアにすること以外には何もいらない。陸上競技でも水泳競技でも、わずか0,0以下で勝敗を決する。あんなに一生懸命に全力を尽くしたのだからと思っても、1位と2位の違いは歴然としている。水泳が大好きな孫娘は、「判定があるからおもしろいじゃん。判定がなければ誰もやらないよ」と言う。たとえ、下位の成績であっても「今度は努力して頑張るぞ!」と思うのだそうだ。
そんな話を聞くと、私は全くダメな人間だなと思う。スポーツは努力しなければ決して上達しない。もちろん、何事もそうで、絵を描くことも、文を書くことも、歌うことも、演じることも、どれ一つ努力なしにうまくなれるものはない。それでも何か、スポーツは自己犠牲を迫るものがあるし、そうすることが努力の見本であるような錯覚を与えている気がする。自分の努力以外の領分で、尽くすことを求められるのは、私には理解できないし、肌が合わない。
カミさんが「よくそんなもの観るね」と馬鹿にするが、私はボクシングやK1なども見る。フェアな試合ならそれなりにおもしろいし、見応えもある。マラソンもよくもまあ2時間以上も飽きもせずに見ると思うけれど、観てしまうのは見せるものが存在するのだろう。それでもやはり、プロよりもアマチュアの試合の方が観ていて好きだと思うのは、技術よりもドラマに感動するからか、それとも私の精神が幼いためかなのだが、どうやら後者のようだ。
これに対し、相撲協会も世間も「謹慎が解けたばかりで、なにを言うか。全く精神がなっていない」と非難していた。朝青龍にしてみれば、そもそもなぜ謹慎処分を受けなくてはならないのか理解できないのだから、プロ野球の外人選手が子どものためとか親のためとかで、国に帰るのは美談扱いされるので、ちょっと言ってみたに違いない。
プロ野球解説者の中には、「個人の理由でこの大事な時に戦列を離れるのは許されない。プロとしての精神がなっていない」と、そんな意見の人も多かった。相撲道なるものは、もっと厳粛で清らかなものでなければならない、そんな風に考えている人も多いようだ。私は相撲道なるものを知らないし、プロといわれるスポーツはお客に見せるためのスポーツなのだから、「道」などともったいぶったものはいらないと思っている。
スポーツの最低限の決まりは、フェアにすること以外には何もいらない。陸上競技でも水泳競技でも、わずか0,0以下で勝敗を決する。あんなに一生懸命に全力を尽くしたのだからと思っても、1位と2位の違いは歴然としている。水泳が大好きな孫娘は、「判定があるからおもしろいじゃん。判定がなければ誰もやらないよ」と言う。たとえ、下位の成績であっても「今度は努力して頑張るぞ!」と思うのだそうだ。
そんな話を聞くと、私は全くダメな人間だなと思う。スポーツは努力しなければ決して上達しない。もちろん、何事もそうで、絵を描くことも、文を書くことも、歌うことも、演じることも、どれ一つ努力なしにうまくなれるものはない。それでも何か、スポーツは自己犠牲を迫るものがあるし、そうすることが努力の見本であるような錯覚を与えている気がする。自分の努力以外の領分で、尽くすことを求められるのは、私には理解できないし、肌が合わない。
カミさんが「よくそんなもの観るね」と馬鹿にするが、私はボクシングやK1なども見る。フェアな試合ならそれなりにおもしろいし、見応えもある。マラソンもよくもまあ2時間以上も飽きもせずに見ると思うけれど、観てしまうのは見せるものが存在するのだろう。それでもやはり、プロよりもアマチュアの試合の方が観ていて好きだと思うのは、技術よりもドラマに感動するからか、それとも私の精神が幼いためかなのだが、どうやら後者のようだ。
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