覚王山のジャズライブバーで、長女のダンナの下の姉の夫が率いるバンドの演奏会があるので、午後は出かけていく。下の姉のダンナは普通のサラリーマンだが、ジャズトロンボーンの奏者でもある。昨年、「演奏会の会場を見つけた」と言っていたのに、その日は予定があって参加できなかったから、今年はぜひ聴き行こうと決めている。
長女のダンナの家族は音楽好きで、お父さんもその弟さんもサクソホンを奏でるし、上のお姉さんは声楽家で、下のお姉さんはパイプオルガンを弾く。お父さんが言うには、「家族で演奏会ができるといい」だったがまだ実現していない。「家族で演奏会」なんて、戦後生まれの私たちの夢だったように思う。
私は小学生の時、ハーモニカを買ってもらった。うれしくて毎日吹いていたけど、才能がなかったのか全然うまくならなかった。中学の時、室長と副室長が音楽室に集められ、吹奏楽部が作られた。担当する楽器を決める時に私は遅れてしまったら、大太鼓しか残っていなかった。楽譜をもらっても音符が横に並んでいるだけ。それを見て叩いても全然面白くなかった。それでも代わる者がいなかったので、仕方なく務めた。
友だちが吹いていたトランペットやトロンボーンを吹いてみたいとまで思わなかったから、音楽の才能はなかったのだろう。3年の時、好きな女の子を誘って放送部に入った。放送室にはたくさんのレコードがあったので、彼女のためにラジオドラマを作ろうと思い、片っ端からレコードを聴いた。脚本までは作れなかったが、クラシック音楽に興味が持てたのはこのおかげだと思う。
大学生の時はジャズ喫茶が流行っていた。店内は黒一色で大きなスピーカーが置いてあるいかにもジャズ喫茶という店に、ぶった学生を真似てひとりで入ったこともあったが、煙草の煙が嫌で長居できなかった。今日はどんな会場で、どんな演奏が聴けるのか、50年前を思い出すように行ってみようと思う。
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