我が家に立派な胡蝶蘭が届いた。友だちの娘さん夫婦が居酒屋を改装オープンした。私が「花を贈ろうか」と聞くと、娘さんは「家電がいい」と言うので、「家電は何がいいの?」と問い直したが未だに返事がない。返事がないままに、オープン祝いに贈られた胡蝶蘭が逆に届いた。「もらっていいのかな?」と友だちに言うと、「店に入り切れないくらい、花でいっぱいだったからもらってきた」と言う。どんな店になったのか、落ち着いたら飲みに行こうと思う。
娘さん夫婦とは、友だちの故郷である九州へ一緒に旅したことがある。私の子どもでもないのに、付き合いが長いからか、子どものような気になっている。マンションだから、「近所と付き合いがないのがいい」と入居された人もいるが、どういう訳か私の周りはまるで長屋である。「醤油が無くなったから、ちょっと貸して」と言える仲である。誕生日会や桜の宴や秋の行楽や、理由をつけては「飲み会」を行っている。
今朝、4月のメモリアルコンサートのチラシを持って、教育長に会って来た。長居するつもりはなかったのに、どういう訳か教育長と話が合って、時間の経過を忘れてしまった。子どもたちを地域で面倒をみるシステムが進んでいるが、「ボランティア感覚の人と、多少でも報酬が欲しい人とある。その辺の整理が課題」という話から、「核家族化のしわ寄せが生まれてきている」現状を見る。「幸せが金に換算されているから、みんな働いて金を稼ぐ、周りへの思いやりが失われている」など。
3世代が同居する家族構成なら、児童虐待も生まれなかっただろう。多くの家族が共に暮らすマンションのような共同生活がよいのかも知れない。互いの家族の子どもたちが自分の子どものように感じる愛おしさがあるから。核家族も資本主義社会から生まれたものだから、社会の形が変われば家族の形も変わっていくだろう。
明日は、この市の「同年者の集い」を行うので、ブログは休みます。
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