友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

父や母を越えて行って

2011年05月01日 19時13分49秒 | Weblog
 昨日の疲労のせいなのか、朝からクシャミと鼻水が止まらない。もう花粉症は卒業できたと思っていたのに、まだダメだったのか。花粉症はアレルギー反応が原因なので、歳を取れば自然になくなると言われ、私もその通りだと実感していた。ところが70歳になった人が最近、花粉症で困っていると言っていた。花粉症とさよならできたと思っていたのに、今日のように鼻がぐじゅぐじゅしていると、年齢とともになくなる説も怪しくなる。それとも、若返ったのかと勝手な解釈をしてみる。

 歳を重ねると人は丸くなり、聖人のような包容力の持ち主になるものだと思っていたが、もちろんそういう人もいるけれど、意外にそうでもないようだ。ひがんだり、ねたんだり、いっそう頑固になったり、どうもいい話を聞かない。子どもを見ればその親がわかると言う。子どもに暴力を振るう親はやはり子どもの頃に親から暴力を受けたケースが多いらしい。それでは逆に、ひがみっぽかったり、頑固だったりする親の子どもはやはり末はそうなるのだろうか。子と親は似たもの同士というか、共通項を多く抱えているということだろう。

 私の親のことを考えてみると、祖父はとても頑固でいつも一方的な人であったが、父は全く逆で私は一度も父が怒った姿を見たことがない。父は自分の父親を反面教師にして生きてきたのだろうか、それとも母親の血だったのだろうか。祖父も父も妻に先立たれ、ふたりとも再婚話があったから、女の人がいなくては生きていけないタイプだったのだろう。それでも再婚しなかったのは、祖父は財産があったためで、逆に父は財産がなかったためであったようだ。

 年老いていっそう優しさが増したという人が身近にいない気がするのは、自分自身が老いてきたからなのだろう。新聞広告に吉本隆明氏の『老いの幸福論』が載っていた。書店で頼もうと思って切り抜いて書店に行ったら、山積みにされていた。こういう本を買う人もいるのだと思いながら買って来たが、新左翼に神聖視された吉本氏もこんな本を書いて稼いでいるのかと妙な気持ちだった。まだ、全部を読んでいないけれど、難解な思想の展開ではなく、全く日常生活に即したものだった。

 本の中で吉本氏は「お子さんは立派な小説家でと言われて、子どもの七光りで僕も少し認められたんじゃないかという気がしているんです。あいつはうさん臭い奴だとおもっていたら、結構まともに子どもが育っているじゃないか、というのが子どもの七光りでしょうね」と述べている。子どもというのは小説家の吉本ばななさんのことだ。私は吉本隆明氏の子どもがどんな小説を書くのだろうという観点でしか読まなかったけれど、父親として吉本氏は子どもを自慢に思っているようで微笑ましい。

 私もそんな風に言われるのだろう。その時は心から子どもを誇りに思う父親でありたい。子どもたち、私の娘ばかりでなくそのダンアナたち、彼らが社会を支えているわけで、私はその恩恵に浴している。もうすでに子どもたちの時代である。有名人にならなくても、父や母を乗り越えていってくれればいいし、実際はそうなっていることが嬉しい。
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