友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どうする!マンションの「敬老の祝い」

2017年09月19日 18時13分25秒 | Weblog

  マンションの「敬老の祝い」が昨日、集会所で行われた。マンションが出来て44年になる。その時の入居者の多くは40代と30代だった。単純に計算してもそのまま住み続ければ80代・70代である。もちろん入れ替わりもあるが、住み続けてきた人が結構多い。私も敬老を祝う側だったのに、もうすぐ招待される方になる。

 年々、該当者が増えてきたので、自治体もマンションも敬老を祝う年齢を切り上げてきた。今では75歳以上にしているけれど、660世帯のマンションで該当者は260人もいる。昨日の「敬老の祝い」には72人が出席したそうだ。でも、正午近くに、たまたまだろうけれど、私の知り合いが何組も集会所から出てきた。

 集会場で、みんなで会食をするのが常だったけれど、あまりにも該当者が多すぎたので、弁当を持って帰る人と集会所に残る人とに分かれたという。コーラスがあったり、漫談があったりと、いろいろ趣向を凝らして行われるが、自治会の役員さんたちは来年からの在り方を検討しているらしい。招待されるだけの祝う会では参加したくないという人もいるからだ。

 社交ダンスとか、フォークダンスとか、麻雀大会とか、トランプ大会とか、できれば身体を動かしたり、笑ったり話したり、受け身でない企画があった方がよいのかも知れない。そう思うけれど、女性たちはともかく男性たちは、「まだ、そんなところで世話になりたくない」と言う人が多い。「若くきれいなネエチャンがたくさんいるよ」と呼びかければ、ワンサと来るかもしれないが、そうなると「イケメン」も揃えないと不公平になる。

 それにしても、高齢で元気な人をどう扱うか、難しい問題だ。大家族から核家族へと変わったのは農業生産から工場生産に変わったためで、工場労働者が減少する社会になれば、家族の形も当然変化することだろう。

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台風は去ったが‥

2017年09月18日 17時32分51秒 | Weblog

  台風18号は各地に被害をもたらした。我が家もその例外ではなかった。大型の台風で猛烈な風雨を伴うと予報されていたのに、台風の進路予想図を見て、この地方はたいした被害はないだろうと勝手に推測してしまった。夜中に風雨が一気に強まって、猛烈な風が窓ガラスを叩きつける音で目が覚めた。ベランダでゴロゴロと物が転がる音がする。ベランダに置いてあったゴミ箱がひっくり返って転がっている。「しまった」。風が弱まる一瞬を待って、急いで片付ける。

 朝、ルーフバルコニーを眺めてみると、我が家で一番大きな鉢植えのデイゴが倒れている。アジサイも2鉢倒れている。バラは1鉢だけが倒れているが、鉢が割れて根がむき出しになっている。鉢が割れたのはこのバラだけで、デイゴもアジサイも倒れただけだった。バラの鉢の予備はないので、割れた鉢を接着剤でつなぎ、何とか復元したが、今回はあまりに細かく割れていたので、接着したものの歪な形になってしまった。

 鉢を修復しながら、もう限界だなと思った。ルーフバルコニーに植木鉢を置いている人は他にいない。春のチューリップ、夏のサルビアを長く続けてきたけれど、台風が来たり、大風や大雨に見舞われた時、まだ私は何とか後始末できるけれど、身体が動かなくなることも必至だし、この世と別れる日が来ることもある。そう思うと、来年のチューリップの時に、「今年限りに致します」と宣言した方がよいと思うようになった。

 大きくなってしまったデイゴ、ミカン、椿そして金木犀は根元から切ってバラバラにしないと運び出せない。せっかくのバラだけど、やはり同様にして、土を運び出し、鉢も欲しい人に上げよう。これだけの作業だが、やり始めても半年くらいはかかるかも知れない。そう思うと、やっぱり来年のチューリップが咲き終わる時が、我が家のルーフバルコニー花壇が終了と考えるのが妥当だろう。思えばよくまあ、これだけの鉢をカミさんに内緒でここまで運び込んだものだ。

 

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相手を思う気持ちと自分を見つめる目

2017年09月17日 17時34分44秒 | Weblog

  昼食の後、眠くなるのは歳のせいなのか習慣なのか、必ずといっていいほど頭が活動しなくなる。最近は昼食の前でも睡魔に襲われる。夜間、眠れていない訳ではなく、7時間以上は眠っている。夜中にトイレに起きると眠れないと言う友だちもいるが、私はすぐ眠りにつくことができる。こんなに眠ることは健康に良くないという医者もいるが、緊張感がなくなってきたからで、このまま逝けるならありがたいことだ。

 大型台風が来ると言われながら、同じところに留まっているので、九州地方でまたしても被害が発生している。先ほど、わが市でも緊急放送があり、「午後4時、市内のすべての小学校の体育館に避難場所を開設しました。避難される方は、薬、水…」と広報していた。この地域ではまだ大雨が降っているわけではなく、上流域でも大雨の警報はないが、念のためという配慮だろう。ならば、どうして学校の門を開けておかないのだろう。

 中日新聞の14日の朝刊のマンガ『ぴよちゃん』に、こんな話が描かれていた。母親が息子夫婦の家に駆け込んできて、「しばらく泊めてちょうだい」と言う。びっくりしている息子夫婦に母親は「お父さんに長い間、だまされていたの!」と泣き出す。そこへ父親が飛び込んできて、「息子夫婦まで巻き込むな」と怒鳴る。母親は「あなたが悪いんでしょう!」と言い返す。「たまにはこしあんを作ってくれって、いっただけじゃーないか」。「私の作るつぶあんをおいしいって食べてたくせに、こしあん派だったとはね」。

 長いこと夫婦を続けているとよくある話だ。黙って食べ続けていたら「つぶあん派」と勝手に決めつけられる。趣向だけでなく、生活習慣や考えも、こういう人だと判別される。それはお互い様のことが多いのに、なかなか当人たちは気が付かない。昨夜、テレビで福山雅治さんが主演した『そして父になる』を観た。産院で子どもを取り換えられた2組の夫婦の物語だ。福山さんは大企業のエリートで、働くことが生きがいの父親だが、取り違えられた息子によって父親に目覚めていく。

 「母親なら、どうして違うとわからなかったのだ」と妻に不信感を抱いていたこと、取り違えられていたと知り、「やっぱり」と息子に競争心や向上心がないことを納得する、そんな男の身勝手を責められる思いのドラマだった。相手を思う心配りと、自分に引き寄せて考える習慣こそが求められている。

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送金代行窓口はブラック企業?

2017年09月16日 18時16分52秒 | Weblog

 世の中はお金が無くて困っている人ばかりと思っていたが、お金が余って困っている人もいるようだ。先日、コメントを寄せてくれた同人さんも「最新のiMac27インチ4kであべ寛主演『結婚できない男』54 分✖️ 12回を観終わって、その間に100万以上稼いでいた。なんに使おうかしら?」と、困っていた。しかし、映画(?)を観ていただけで100万以上稼ぐってどういう仕組みなのだろう。

 お金が余って困っている「主婦」から、「2900万円受け取って欲しい」とメールが来てからずいぶんになるのに、相変わらず根気強く、「まだ受け取ってくださらないのですか」とメールが送られてくる。送金代行窓口の近藤さんからも、「受け取ると連絡してくれれば、直ちに手続きに入る」と何度もメールが来る。8月の23日と26日は送金代行窓口から、9月2日と13日は送金代行窓口と「主婦」の双方から、14日は送金代行窓口からメールがあった。

 「2900万円を受け取ってくれれば毎月の収入の3割を送金する」とまで「主婦」は言ってくれる。いや、そればかりか、アイビーファイナンシャルサービスのお客様担当センターから、「本日から融資可能です」とメールが届き、翌日には「514万円が受け取り可能」と知らせてきた。さらに、「大切なお知らせがあります。お客様に返金がございます」とか、「お金にお困りではありませんか」とか、私のことを心配してくれるメールも届く。金額も上がって、「630万5千円一括受取可能」とある。

 これらの発信元は毎回違うが、利用しているのは全てソフトバンクだ。私はお金が余るほどの生活ではないが、明日どうやって暮らそうというほど緊迫もしていない。そんなにお金が余って困るようなら、私などに恵まなくても、困っている人はいっぱいいるのだから、ぜひそういう人たちのために役立てて欲しい。日本には昔から、「情けは人のためならず」という諺がある。「お互い様」という考え方もある。

 午後6時5分、送金代行窓口の近藤さんからメールが来た。遅くまで働いているようだから、ここもブラック企業に違いない。

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北のミサイルより深刻な高齢者問題

2017年09月15日 17時56分39秒 | Weblog

 秋の爽やかな季節になると私は憂鬱になる。朝から鼻水が止まらず、目はしょぼしょぼして鬱陶しい。どうやらこれは清々しい心を持ち合わせていないためのようだ。俗欲から抜けきらない身に神様が与えて下さった罰である。罰は我が身のためなのだから快く受けなければならないのに、分かっているのに素直になれない。

 クシャミと鼻水が止まらない私を見て、小2の孫娘は「パパちゃん、どうしたの?」と心配する。その小2の孫娘は、みんなの話が自分のことではないと知ると、居間からすっといなくなり、北の部屋の書棚から聖書を取り出してくる。このところどういう訳か、黒表紙の分厚い聖書がお気に入りだ。その次に持ってくる本を見ていると、彼女なりに「(値段の)高そうな」本ばかりだ。

 聖書はドラマか何かで、誓いの時に手を置く儀式を見たのだろう。いつだったか、「ママちゃんに誓ったの?」と聞かれたことがあった。「誓いは神様との約束なんだよ」と教えたが、なぜ私が聖書を持っているのか、そんな話ができる日が来るのだろうか。「お笑い芸人になりたい」と言うあの子が真剣に私の話など聞いてくれるとは想像ができない。

 日本では100歳以上の人が6万7千人もいるという。人生50年と言っていた時代からすると2度も生きたことになる。2度目が赤子からの出発なら、やり直すこともできるが、ただただ年老いてゆくだけの人生にどんな意味があるのだろう。そのくせ、高齢者世帯の4分の1が貧困だという。年老いてからの貧困は立て直しようがない。一体どういう生活なのか、絶望的になる。

 中学からの友だちは地域の役員を引き受け、広報活動など忙しいけれど充実した日々を送っている。彼が主任をしているシルバーのアルバイト仲間に10歳年下の女性がいる。彼女は連れ合いに先立たれ、晩酌が欠かせない日々を送っている。「休肝日を設け、健康に気を配って欲しい」と友だちはブログに書いていたが、長生きすれば息子夫婦に面倒をかけることになるだろう。「高齢者問題」は北朝鮮のミサイル以上に深刻な気がする。

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真っ白な足に見とれて

2017年09月14日 17時39分09秒 | Weblog

  友だちが属している日本板画院の作品展が県美術館で行われている。せっかく案内ハガキをいただいたからと思い、出かけた。前回は小作品だったが、美術館で行うだけあって、大きめの作品がずらりと並んでいた。木版は子どもの頃しか経験がないが、1枚仕上げるのにずいぶんと手間暇をかけていることくらいは分かる。色の濃淡で奥行きを表す技に感服する。

 ここまで来たのだからと、『エルミタージュ美術館展』が開かれている10階へ上がった。ところがチケットを買う長い列がどこまでも続いている。平日なのにと思いつつ、並ぶのは嫌だと諦めた。地下には芸術関係の書籍やグッズを扱っている店があるから、ちょっと寄って行こうとエレベーターで下る。その時、どかどかっと人が乗り込んできた。私の目の前は真っ白なうなじの女性だった。

 地下の売店で本を眺めていると、首の細い真っ白なうなじの女性が目の前を通り過ぎた。先ほどの女性だ。顔は見えなかったけれど、肌の色の白さが妖艶で、見とれてしまうものがある。思わず後を追いたくなる。その時、「アレッ!先生、お久しぶりですね」と声をかけられた。白髪頭でしかも禿げあがったシワだらけの老人だ。「ボクですよ」と言われて、卒業生だと気付いた。

 この子とは10年近い差があったはず。私も他人から見ればきっとクタビレタ老人に違いない。うなじの艶めかしい女性に出会い、新しい恋の予感が沸いたのに、見事に打ち砕かれた。地下鉄に乗り込むと、向かいの席に、人の足の間から、これまた見事なまでに美しい足が見える。美術館に向かう時も、階段の登りで、足首が真っ白な女性がいた。いつも私の目の前にいたので、よくよく見てしまったが、地下鉄の女性も素足の指先まで白くてきれいな形だった。

 いずれも顔は見ていない。それでも勝手に美人と決めつけ、余韻に酔いしれて駅を出た。秋の光がまぶしい。すると、赤い車が近づいてきて止まった。「乗っていかない」。見るとハニワ顔した女性がニコニコしている。今日は「女性専用」の妄想デーだった。

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48年前のクラス誌がデジタル版に

2017年09月13日 18時32分08秒 | Weblog

 今から48年前、1冊のクラス誌が生まれた。その1年前に私は高校の教員となり、2年目の4月にこのクラスの担任となった。1年生の初々しさよりも高校生らしさが勝る頼もしい生徒たちだった。クラス誌は色褪せていて読みづらくなっていたので、先回のクラス会の時に、今は印刷の仕事にかかわっている当時のルーム長に、「何とか読めるようにできないか?」と相談した。それが完成し、メールで送られてきた。

 読んでみると当時のことが思い浮かんでくる。クラスの重大ニュースには、2)体育祭祝辞反対-教育の場に政治をもちこむな!売名行為反対!ついに祝辞は一人も(文字が読めない)…バンザイ。3)弁論大会7人中5人出場-学校内の三無主義をけっとばせ!。4)文化祭堂々出場-1年生で出場はわがクラスきり。5)クラス学芸会開催-先生の企画で学芸会が開催された。ユニークでフレッシュな劇の数々。堂々3時間、たっぷり皆を楽しませてくれた。6)遅刻者1日最高18人!とある。

 重大ニュースの1)は私の結婚で、「最後に格言を2つ。結婚は鳥籠のようなものである。外にいる鳥たちはいたずらに入ろうとするし、中の鳥たちはいたずらに出ようともがく(モンテーニュ)。温順無類の夫は狂暴無類の妻をつくる(狸諺)」とあった。今、思うと「先見の明」を持っていたんだと感心するが、そう書いてくれた人も今は、格言に感銘していることだろう。

 イラストも多く、なかなか面白く出来上がっているが、残念なことは色褪せて文字が読めない部分があることだ。これより後の時代なら、原稿をFAXで読み取って印刷できたのに、この時はガリ版印刷だったから、原稿を集めてガリ切りをする「編集者」は大変だっただろう。編集後記を見ると、「なんだかわたし1人がわめいていたような感じだった。みんなの中から、やろうという気持ちがもりあがってきて、みんなしてやらなければ意味がない―Y・K」とか、「オレはガンバッタつもりだけれど、女上位時代の典型女子で、あれやれこれやれ、全くいきぐるしかったでゴリス―M・G」とある。

 2017年度デジタル版を作成してくれた彼も編集後記に「バカみたいだったなあ。本当に悲しくてやりきれないよ全く。いやいやだったなあ。何のためにオレ達はやったんだろう。そして何をえたのだ?そしてダレが喜んだんだ?そしてダレが苦しんだんだ?―T・F」と書いている。15歳か16歳、教室でギターを弾いてフォークソングを歌っていたあの頃が思い出される。

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たまには成功した話も聞きたい

2017年09月12日 17時35分25秒 | Weblog

  秋は人恋しい季節だが、一年中人恋しい友だちがいる。祭りの反省会ではいつもながら彼の「進行形の恋愛」を聞かされる。大相撲を見に行ったとか、歌舞伎を見に京都まで行ったとか、伊良湖の恋路が浜を歩いたとか、琵琶湖を一周するドライブをしてきたとか、個室のある部屋で食事したとか、初めは自慢話なのかと思って聞いていたが、要は、彼が感動したものや景色を彼女と共有したためと分かった。

 「それが、彼女の友だちが彼女に『そんなに長く付き合っているのに、何にもしない男って、男として欠陥があるのじゃないの』と言った話をしてきたんですが、どう考えたらいいんでしょう?」と言う。「あなたはどうしたいの?なぜ、手も握らずキスもしなかったの?」と聞くと、「だって、それじゃー不倫でしょう。そりゃー、したいですよ。したいですけど、許してくれなかったらと思うし、彼女を大切にしたい気持ちもあります」と答える。

 そこで先輩たちが一斉攻撃を加える。「ふたりでドライブして、一緒に酒飲んで、もう充分不倫してるじゃないか」と言う。「いえ、手も握ってません」と彼は慌てる。「だからおかしいと彼女の友だちも言ってる」「そんなことを話すのは、次のステップへ行こうという合図だね」と指摘する。「本当ですか。行ってもいいんですかね」と彼の顔が輝く。「行きたいのなら行けばいいが、あやふやな気持ちならやめとけ」。「俺なんか、遠くにラブホテルが見えたんで、チラッと見てたんだけど、そうしたら彼女から『ああいうところへ行きたいんだ』と冷やかされて、『ウン』って言ったら、『いいよ、今度行こう』って言われたよ」。

 酒の席での「恋愛相談」は、いつの間にか先輩たちの自慢話に変わってしまう。次回もきっと彼は続きを話すだろうが、またしても不成功に終わった話になるだろう。これまでもたくさんの恋愛話を聞かされたが、成功したことは一度もない。いや、きっと失敗談だからみんなの話題になるのであって、他人の成功した話など妬ましいだけで、酒の肴にはならないのだ。でも、たまには成功した話も聞きたいが、無理かなあー。

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持論を披露する開放された時間

2017年09月11日 17時49分13秒 | Weblog

  1週間に1回か、10日に1度くらいの割合で電話があり、近くの喫茶店で1時間ほど話す人がいる。もっぱら私は聞き役で、相手の言うことに相槌を打ったり、時に疑問を呈したりする。彼とは私が地域新聞を作っていた頃からの知り合いだが、こんな風に会うようになったのは最近のことだ。年齢は私よりも1回りは上だろう。どうして私を気に入ってもらえたのか、聞いたことはないが、話が合うからだろう。

 1985年、何の縁故もないこの地で月2回の新聞を創刊した。地域を知るためにとにかく歩き、出会った人とおしゃべりして、人と人のつながりを見つけ出していった。親戚関係が分かったり、同級生だったり、地元の人なら知っていることから知識を蓄積していった。だから、彼が名前を口にすれば、その家が思い出され、家族のことも話ができる。それに彼は歴史が好きで、私を同類だと決めつけている。

 郷土の英傑についてはある程度知っているし、この街にかかわる歴史上の人物は新聞づくりのためにも学習してきた。突然、彼が「家康が天下を治めることができたのはなぜかね」と聞く。「幼年期の過ごし方が、信長や秀吉と違うからではないですか」と私は答え、「家康は駿府の今川義元のところに人質に出されたけれど、預けられた寺で中国の古典についてもしっかり勉強していたと思います。先のことを見る目も大事だけど、古い時代の教訓を身に付けいた差ではないですか」と話した。

 来年の大河ドラマが西郷隆盛ということから、明治維新の話になった。なぜ薩長が討幕の主力となったのか、なぜ殿様が前面に出なくて身分の低い武士が指導権を握ったのか、維新によって近代化への道が開かれたと美化するが、それは結果論であって、実際は関ケ原の戦いと同じ権力争いでは、そんなとりとめのない巷の歴史談義がコーヒーを飲みながら続く。私は面白がって、私の持論を披露する、開放された時間でもある。

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まだ厳しい残暑の中

2017年09月10日 17時25分25秒 | Weblog

  まだ厳しい残暑の中、学校のグランドで少年野球チームが練習をしていた。「声が小さいぞ」とコーチの声が飛ぶ。スポーツで声を出すのは効果がある。チームに一体感が生まれるし、リラックスして潜在的な能力が発揮できるという。そういえば、18歳以下の国際野球大会でも、日本だけでなくアメリカもカナダも選手たちは大きな声を上げていた。

 それにしても、「声が小さい」と指摘され、「ワーショイ、ワーショイ」と声を上げるのはどういう意味があるのだろう。「もっと頑張れ」とか、「そんなこともできないのか」とか、「集中しろ」とか、コーチはいろいろ指示するけれど、どうして具体的に教えないのだろう。私も小学校の時、子供会でソフトボールの選手にさせられ、夏の暑い時に練習させられた嫌な思い出がある。その時もコーチからいろいろ言われたが何も身に付かなかった。

 高校の教員になった時、学校対抗のソフトボールの試合があり、若く足が速かったから選手に駆り出された。バッターボックスでバットを振っていると体育科の先生が、「バットを振らずにボールがキャチャーミットに収まるまで、ボールをよく見て」と言う。自分ではボールを見て振っていたつもりだったが、言われるように見てみると、はっきりとボールが見えた。

 「ボールを見て振れ」という意味が分かった瞬間だった。何をどうするのか、具体的に教えるなら子どもたちはもっと上達が早いのかも知れない。どうも日本のスポーツは精神的な指導が多い気がする。運動会の組み立て体操も、ケガの多い割に教育的効果があるように思えないが、それでもまだ取り組んでいるのは「見栄え」であり、先生たちの自己満足でしかない。

 「頑張れ、頑張れ」と励まされ、「そんなこともできないのか」と叱られ、「悔しかったらそれをバネにしろ」とさらに追いやれれる。それで「根性」の付く子もいるだろうが、挫折してしまう子もいる。悲しい思いをした子をフォローするのが指導者の役割なのに、それを自覚しない指導者が多いのは悲しい。

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