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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「メリークリスマスってどういう意味?」

2017年12月17日 17時15分51秒 | Weblog

 小2の孫娘が玄関のドアを開けて入ってきた時に、「メリークリスマス」と叫んでクラッカーを鳴らした。多少は小2の孫娘を喜ばすことができただろう。長女や社会人になった上の孫娘は、「きれいにできてるじゃん」と部屋を見渡して言う。「飾り付けはパパちゃん、料理はママちゃんがやったのよ」とカミさんは得意そうに言う。

 食事をしながら長女が、24日にある結婚式で「祝辞を述べなければいけないが、メリークリスマスはヘンかな?」と聞くので、「いくら24日の結婚式でも、その出だしはまずいじゃーないの」と言うと、「メリークリスマスのメリーってどういう意味?」と問われ、「クリスマスおめでとう」の意味で使ってきたが、本当はどう意味なのだろうと考え、ハタと困った。

 「Merry」は「楽しい」とか「陽気な」とかの意味があると辞書にある。「楽しいクリスマスを」という挨拶となるが、私が中学・高校と通っていたキリスト教会では、「メリークリスマス」とみんなが挨拶を交わした覚えがない。救い主であるキリストの誕生を全ての人々が喜ぶのは当然としても、「メリークリスマス」と言い合うことには違和感がある。

 キリストのことをクリストと発音するので、クリスマスはキリストの呼び方と思っていたが、じゃ―なぜマスが付くのか不思議な気がしたが、「mass」は「ミサ」のこととある。教会における典礼・祭儀のことだ。「Christ」と「mass」が結びついたのだから、「キリストの祭儀」ということになる。キリストの誕生を祝う祭儀がどんどん世俗化してクリスマスパーティーとなってしまったのだろう。

 どこの人々も大切な日を設けている。当初は厳粛な典礼の日であったとしても、人々はそれぞれに、自分たちに都合の良い行事に変化させていく。それはもう人間の知恵であって、そうすることで新しい展開をしてきたと思う。ごちそうとお酒を前に、「主イエス・キリストのご生誕を心から感謝申し上げます」とは、なかなか言えない。

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クリスマスの飾り付けをする

2017年12月16日 16時46分21秒 | Weblog

  長女とその娘ふたりが来ると言うので、久しぶりにクリスマスの飾り付けをした。居間には電飾のクリスマスツリーを置いた。あの子たちが来て最初に見る玄関戸にリースをつるし、中に入った靴箱の上には花に代えてクリスマスの小物を花瓶に挿して飾った。また、正面にはポインセチアを置き、根元を真綿で覆ってサンタなどを飾った。

 子どもたちが家を出てからは、クリスマスの飾り付けが面倒になり、リースだけであったり、ツリーだけであったりと、こんなに手間をかけることはなかった。やはり、誰かが来るとなるとクリスマスらしい飾り付けが無いと寂しい気がする。幸い、正月は3日に私の親族が集まっていたから、それなりに正月らしさを演出してきたが、近頃のクリスマスは手抜きになっていた。

 私は中学・高校とキリスト教の教会に通っていたので、クリスマスは最も厳粛な行事だったが、家では何もしなかった。家でクリスマスらしいことをするようになったのは結婚してからだろう。当時のクリスマスらしいことはケーキを食べることくらいだった。街中に讃美歌が流れていた。オッチャンたちが三角帽を被り、酔っぱらって繁華街を危なっかしい足取りで歩いているのをよく見かけた。

 教会に通っていた頃は、私も信者の仲間入りをして、讃美歌を歌って街中を歩いた。とても清々しい気持ちであり、神を讃えている誇りのようなものを感じていた。ベトナム戦争が無ければ、牧師の勧めに従って、私は牧師の道を進んだかも知れない。アメリカ人牧師に「なぜ、アメリカはベトナム人を殺すのか、神はどうしてそれを許すのか」と聞くが答えてくれなかった。

 世界各地で今も戦争が起きるのに、なぜ神は中止できないのだろう。どうして飢えと貧困が無くならないのか、真面目に働いているのに働きもしない大金持ちの何千万分の1の収入しか得られないのか。神は、あなたの手で作られた人間の現実をどう見ているのだろう。クリスマスの意義を取り換えてしまった人類を悲しんでみえるのだろうか。

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ビッキーと米倉涼子の魅力は?

2017年12月15日 17時14分24秒 | Weblog

  タレントのビッキーさんが「間違った恋をしてしまいました」と鶴瓶に話した。えっ、それは違うだろうと思った。妻子ある人を好きになったことで、タレントの不倫に火をつけることになった。世間からバッシングを受ける恋であったが、決して「間違った恋」ではなかったはずだ。

 世間がやっかみで「不倫だ」「不倫だ」と批判を投げつけるが、彼女自身は本当に好きだったのだから、決して間違ってはいない。不倫をこんなにマスコミが取り上げるのは、世間が不倫を妬んでいるからだ。自分の欲望を「批判」という形に置き換えているだけだと思う。

 恋する気持ちは人類が誕生した時から存在してきた。男と女の形は地域や時代などによっても違う。心の中にあるものを抑えて生きることは出来ても、否定することは自らを否定することだ。ビッキーさんの恋は実らなかったが、彼女は男を見る眼を磨けたのではないか。

 昨夜は評判のテレビドラマ『ドクターX』の最終回だった。ビッキーさんと同様に魅力的な目と手足をしている米倉涼子さんが、「失敗しない」フリーの女医を演じている。どんな難しい手術でも彼女の手にかかれば必ず成功する名医だ。そもそもフリーの医者などいるのか疑問だが、世間はこういうフリーの名医を求めているというドラマなのだろうか。

 『民衆の敵』はまだ最終回になっていないからドラマの意図が見えないが、『ドクターX』は何が描きたかったのか、私には分からなかった。米倉涼子さんの女優としての魅力を引き出すというのであれば、彼女が演じたこともないドロドロとした不倫役がいい。三島由紀夫氏の『伯爵夫人』などはどうだろう。

 それにしても何が言いたいのか分からないドラマのどこが良いのか、私にはどうして分からないのだろう。明日は長女と二人の孫娘が来ると言う。社会人になった上の孫娘にもクリスマスプレゼントは必要なのかと迷ってしまう。

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テレビドラマ『民衆の敵』は何が言いたいのだろう?

2017年12月14日 18時00分26秒 | Weblog

  この街の同年の人たちの集まりの会の代表を引き受け、会の目的について悩んだ時期もあったが毎年企画し実行することが自分たち役員の務めだと分かった。会を開けば参加できる。参加できれば、「元気だったか」と話もできる。特別なことは何もいらない、開催することが何よりも大事なのだ。

 生まれも育ちも職場も違うけれど、この地域で生活している私たちがお互いを知っているだけでも地域の役には立っている。ボランティアをしている人もいれば、芸事に熱心な人もいるし、何かの時に「あの人に頼んだらいいじゃーないの」ということにもなる。大都市ではできない地域の結束に役に立っていると思う。若い人には若い人なりのつながりがあるように。

 来年4月には市長と市議の選挙がある。市長には現職が続投しそうだ。市議はおそらく入れ替わりがあるだろう。テレビドラマ『民衆の敵』は、主演の篠原涼子さん扮する普通の主婦が、「議員ってあんなにたくさんお金もらえるんだ」というので立候補し、市議になったばかりか、議会のボスに乗せられて市長にまでなってしまうずいぶん可笑しな物語だ。

 漢字も読めず、資料を読み取る力も欠けるが、「市民のために尽くしたい」気持ちだけは失っていない。ボスの支配下からどうやって抜け出すのか見ものだが、現実的にはもう少し資質のよい人でないと市議も市長も務まらないだろう。しかし一方で、市長も市議も資質に欠ける人がいることも事実で、最近の報道に「どうしてこんな人が」と思う。

 真面目に地域のためにと活動している人は大勢いる。議会など無くして、こういう無償で働く人たちに行政のチェックを行ってもらった方がいいのかも知れない。中学生や高校生やお母さんたちに行政へ提言してもらった方が現実的で市民的かも知れない。現行の議会や行政の仕組みを変える時期に来ていると思う。

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「ダンナが気が利かないのよ」と口撃!

2017年12月13日 18時36分16秒 | Weblog

 滅茶苦茶に寒い。このところ、真冬並みの寒さが続いている。気温が低いうえに風が強いので、寒さがいっそう厳しく感じられる。日本海側では大雪で、積雪もすごいようだ。岩手県盛岡の出身の女性は、体育館のあまりの寒さに泣いてしまったと子どもの頃の話をした。新潟の出身者は「雪の日は暖かい」と教えてくれた。

 あまりの寒さのせいなのか、このところ胃が痛む。「それは飲みすぎでしょう」と指摘されそうだが、確かに酒のせいであることは間違いないが、寒さも無関係とは思えない。寒さは私の身体には敏感に反応するように出来ているから。昨日は「賞味期限が切れた牛肉の塊があるから食べる?」と聞かれ、ステーキにしてワインと一緒にいただいた。

 アメリカ産の牛肉で、「日本の牛肉の4分の1の値段で売ってたから買っておいた。料理するつもりだったのに忘れていた」と言う。筋が固くて和牛とは全く違うが、「意外においしいじゃない?}と言われ、「ウン」とうなずいてみたが、確かに味は悪くなかった。最近カミさんは、悪いことは私のせいで、良いことは自分が行ったと主張することが多い。

 以前は反論していたけど、カウンセリングをしている友だちが「愛することはわがままを受け入れることだと分かった」と教えてくれたので、逆らわないことが心の平安につながると信じるようにしている。彼は定年退職してこれからはカミさんと向き合おうとした時に、カミさんが末期ガンだと診断され、ベッドの横で寝起きを共にして看病したが、甲斐もなく先立たれてしまった。

 10歳年下の女性と2度目の結婚をして、「愛すること」が分かったと言う。いくら年老いていても身体を触れることが大事」と言い、「年寄りだからと照れたりせずに、肩を抱き、身体を寄せ合い、抱きしめるてやることだ」と力説する。今日も雑談の中で、「老年期精神病(ウツ)」になった女性が話題になっていた。「ダンナが気が利かないのよ」と女性たちは口撃していた。

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3度目の受験で京大に合格した人

2017年12月12日 18時09分35秒 | Weblog

  70歳になってから、合唱に参加した友だちがいる。音大を卒業したとか、合唱をしていたとかが多い中で、全くの門外漢の彼はよく「音が外れている」といじめられたそうだ。それでも歌いたくて、密かにボイストレーニングに通い、合唱に励んだと言う。来年はアメリカ、ニューヨークのカーネギーホールで歌うために身体を鍛えているとも話す。

 助平だけが取り柄なのかと思ったが、とても努力家だったと今日知った。彼は満州から母と兄の3人で引き揚げてきた。子どもの頃は「ろくに飯も食えなかった」と言う。母と兄がとにかく働いて、彼を育ててくれた。名古屋市立工業高校へと進んだが、どうしても大学に行きたかった。2年浪人し、3度目の受験の時、大企業へ就職の話を友人が持って来てくれた。

 「大学受験は限界だな」と思っていたので、それを母と兄に伝えたところ、二人から怒叱られた。「何のために母ちゃんと兄ちゃんは歯を食いしばって働いてきたのか。肝心のお前が逃げ出してどうするのだ」。それで一念奮起して京大に合格したと言う。「オレは2度死にかけた」とも話す。バイクに乗っていて衝突した。橋梁造りの現場で10メートルの高さから転落した。「それでも生き返ったのはまだ生きる価値があったのだ。もらった命だから、世の中のために返したい。そう思って生きてきた」と語る。

 カウンセラーの資格を取得し、「ウツ」の人やニートの青年を支援したり、ヘルスカウンセリング学会の公認のストレスケア専門士として職場復帰支援を行っている。高齢になったら何もしなくなるのが普通なのに、どうしてそんなに前向きなのか不思議に思ったが、そういう過去があったのかと納得した。

 定年退職してこれからゆっくりと過ごそうとした時、カミさんにガンが見つかり、手術も出来ない段階で、毎日必死で看病したが7カ月で亡くなった。「落ち込んだ。何も手に付かなかった」のに、1年後に10歳年下の女性と再婚した。「愛するというのはわがままを聞くことだと分かった」と言う。いろいろ教えられることの多い一日だった。

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ノーベル平和賞は核兵器廃絶国際キャンペーンに

2017年12月11日 17時26分20秒 | Weblog

 ノーベル平和賞が非政府組織のICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)に贈られた。このNGOは各国で核兵器廃絶を訴えてきた。その活動は国連総会で「核兵器禁止条約」となり、多くの国の賛同を得たが、核保有国や「核の傘」の日本などが反対し、成立しなかった。日本政府は北朝鮮の「脅威」を理由に、核兵器廃絶は現実的でないと主張する。

 ならば核保有国は、そして唯一の各被爆国である日本は、どのように核兵器を無くそうというのだろう。互いに核開発に力を注ぎ、相手よりも有利な兵器を持つことしか戦略にない、「核抑止力」しか私たち国民にプランを明かしていないのに。アメリカ大統領トランプ氏もアメリカの兵器を売り込むことしか頭にない。

 世界の政治家、賢者であるべき政治家が、世界平和に向かってどのように進めるのか、プランを話さない。彼らは現実の目先しか見ていないので、そもそも平和への道筋など考えたことが無いのかも知れない。政治家は誰もが「戦争はいけない」と口にするが、戦争を始めると「正義の戦争だ」と強調する。テロリストたちも皆、「正義の戦い」と言う。この連鎖を断ち切ることが必要で、現実的と私は思う。

 ICANの活動に共鳴し、被爆者としてノーベル平和賞の授賞式で演説したサーロー節子さんは、「核兵器の時代を終わらせることは可能であるし、私たちはそれを成し遂げるという大いなる希望を(平和賞は)与えてくれた」と言う。そして、「世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。核兵器と人類は共存できない」と。

 ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏も母親が長崎で被爆したと話していた。「核兵器と人類は共存できない」とより多くの人が確信する世の中になって欲しいと思う。この後は飲み会、私の周りは実に平和だが、世界は戦争と貧困が続いている。

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今年もあと3週間

2017年12月10日 18時06分12秒 | Weblog

  今年もあと3週間しかない。年賀状の図案を描きあげ、印刷所に渡した。宛名の住所録を点検し、喪中のチェックも終わった。あとは正月に向けて、家の掃除が残っている。以前は大みそかに20人近くが我が家に来て年越しをしていったが、今はその行事も無くなった。故郷に帰ることのない人は「うちに来てくれてもいいよ」と言ったことがきっかけであったが、「大みそかのテレビが見られない」とカミさんが言うので、仕方なかった。

 いつも隠岐の寒ブリを持って来てくれる人がいて、私がさばいて刺身にしていたが、年々ブリが大きくなり我が家のまな板ではさばき切れなくなってきた。みんながそれぞれに1品持ち寄って来てくれたから、料理に困ることはなかったが、後片付けが大変だった。ふたりだけで年末年始を迎えるようになってみると、まことに静かで張り合いがない。いつしかテレビを観ながらうたた寝になっている。

 正月3日は、我が家で私の親族が集まり、新年会を行ってきたが、こちらもそろそろ限界かなと思う。兄貴の息子たちとその家族や姉の娘の子どもたち、私の妹夫婦とその子どもたちが来ていたから多い時は20人ほどになっていた。子どもたちは成長し、結婚した子も何人かいる。もう、我が家に集まる必要はない気もする。3日はそんな話もしてみようかと思う。

 私が育った材木屋は20歳の時に無くなったし、我が家の墓も撤去して寺に返したので、もう墓参りをすることもないが、1年に1度くらいは集まる親族の交流の機会を残しておくべきかとは思う。昔のように、一族で結束して何かをすることが無くなった今では、血のつながりを強調する必要もないのだろう。

 明日は長女のダンナのお父さんが我が家にやって来る。お父さんだけでなくお母さんも来てくれると、息子と娘の両親が揃い懇親も深まるだろう。ちょうど明日が誕生日という知り合い女性も来ることになっていたから、バーズディケーキを用意しようと思ったら、やっぱり「孫が祝ってくれるから」と断ってきた。「終わってからでもいいですよ。待っています」と伝えた。

 

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ポン酢で煮てみた

2017年12月09日 18時47分51秒 | Weblog

  飲みすぎないように注意していたはずなのに、ついつい調子に乗ったようだ。麻雀組が宴会の後でもう1回やると言うので、私は友だちのカミさんと一緒に帰って来たが、どうも足元が怪しかった。無事に家に辿り着いたから迷惑をかけずに済んだのだが、午前中は眠くて、朝食の後、またフトンに潜り込んで眠ってしまった。

 私が作った1品は、近頃よくテレビで宣伝しているポン酢で煮ただけのもの。いつだったかカミさんが「今日は疲れたから何もしたくない」と言うので、「じゃー、ボクが作るから」と冷蔵庫を見ると冷凍庫に鳥の手羽の中元があった。「それで唐揚げにする?」とカミさんが言うので、「ポン酢で煮る」と遮り、中元を並べてお酒とポン酢をひたひたになる程度に入れ、砂糖の代わりにタマネギとキャベツを入れて煮立てた。簡単に出来る割に酒の肴に合ったので作ってみた。

 先輩の友だちは料理好きで、定番はしめ鯖と砂肝の甘露煮だ。これがとてもうまい。しめ鯖は鮮度のいいサバを売っている店まで買いに出かけている。砂肝はコトコト煮ていると思われるのに柔らかい。1度ぜひレシピを教えてもらいたいと思う。彼女が作った料理も絶品で、結局、美味しい料理と美味しい酒が見事に合い、ワイワイおしゃべりに花が咲き、飲みすぎてしまったようだ。

 私は素敵な友だちに恵まれたことに感謝である。小学校の時も、中学校の時も、高校の時も、大学の時も、教員の時も、私はいつも良い人に恵まれた。どこで働いても必ず素敵な人に巡り合えた。運命は神様の贈り物なのだろうが、自分が気が付かなければ受け取れない。死ぬまで素敵な出会いがあると信じている。

 

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今晩は忘年会

2017年12月08日 13時40分52秒 | Weblog

  忘年会の時期がやってきた。殺された富岡八幡宮の女性宮司は「忘年会はパワハラ、セクハラがいっぱいで嫌い」と愚痴っていたようだが、酒の席は無礼講と思い込んでいる人がいまだにいるようだ。私が教員の時は確かにそういう人はいたが、それはもう昔のこと、楽しく飲めないような忘年会ならやめた方がいい。

 私の周りの忘年会はそうしたクセのある人はいない。やはりそこそこにお酒が飲めないと、そして積極的に話をする人でなければ面白くないだろう。私は酒が強い方ではないし、話を独占する方でもないが、宴席が無いと寂しい気がする。みんなでワイワイガヤガヤ過ごすのは楽しい。

 今晩は友だちの家で忘年会だ。午後1時半から麻雀をし、宴会は午後5時くらいからと聞いている。子どもを通して交際がはじまったから、もう40年くらいになる。そんな時間から麻雀では友だちも料理の準備が大変だろうから、我が家でカミさんが1品、私が1品作って持って行こうと思う。

 友だちは手早く料理ができるし、うまいけれど、麻雀が出来ない私は料理で手助けしなければと思う。教師になったばかりの頃、私の宿直を狙って生徒たちが「先生に麻雀を教えてあげる」とやって来た。ところがすぐに、「先生は後ろで見て勉強して」と言われ、いつの間にか生徒だけが興じていた。酒も弱かったが賭け事もダメだった。

 カミさんは週1くらいで忘年会が入っているが、残念ながら私は今晩が初めてで、次は誕生日会の仲間の忘年会しかない。年を忘れたいほどの苦労もないし、毎日ぼんやり過ごしている身にはこんなものだろう。そこで今日はここまで。

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