工藤惠句集「雲ぷかり」論
永田満徳
『雲ぷかり』(本阿弥書店、2016年6月)は工藤惠の第一句集。「雲ぽかり」はとにかくおもしろい。おもしろくて、ゆかいになる。全体に軽やかでさわやかな読後感を与えるところは評価できる。
わたくしも金魚も水曜日な気分
と言われて、確かに「水曜日」ならではの気分があると思えてくるから不思議である。有無を言わせない強さを持つ。
心がこわれた天道虫が飛ぶ
後悔はたとえば金魚を産むように
壊れた心と飛ぶ天道虫とを取り合わせ、後悔を金魚に比喩としている句など、内面を読んでもそれほど深刻ではない。
書初めの名前が場外乱闘中
およそ俳語にはそぐわない「場外乱闘中」という措辞を堂々と持ってくることによって、筆遣いの力強さ、奔放さが伝わってくる。
就中(なかんずく)、読んでいて楽しいのは口語で表現される句である。
ブロッコリーいい奴だけどもう会えない
いやなのよあなたのその枝豆なとこ
青バナナ一肌脱がれてもちょっと
プードルのように貴方を抱くわ、雪
いずれの句も、肩肘を張らず、気楽に詠んでいる感じである。詠みぶりの自由さ、ひいては作者の精神の自由自在さを表している。この自由奔放さがこの句集の特色の一つといってよい。
句材としては料理名や食材が多いのも特色である。決して高級感のあるものではないところが句集全体を身近で親しみやすいものにしているが、読めば読むほど平凡な素材をただ事で終わらせないところに作者の技量を感じさせる。その秘訣は取合せ、季語の斡旋の巧みさにある。何の変哲もないフレーズを輝かせるのは季語である。
冷や飯にチャーハンの素春浅し
さくらんぼクリックすれば会える人
卵かけご飯の家族小鳥来る
「冷や飯に」は「春浅し」を当てることで春先の軽い食欲を描き込み、「さくらんぼ」は「さくらんぼ」を頬張りながら恋人に連絡する現代人の所作をうまく切り取っている。「卵かけご飯」は「小鳥来る」と取合せることによって微笑ましい家族風景が見えてくる。
取合せ、季語の斡旋の巧みさは次の商標や商品名が生な形で出てくる句にも見られる。
丸美屋のふりかけご飯春が行く
チョコボール空へ転がる立夏かな
日焼けした姉妹キューピーマヨネーズ
「丸美屋の」は刻々と「春が行く」感じがよく出ているし、「チョコボール」はのびやかな「立夏」な雰囲気が伝わってくる。また、「日焼けした」は「姉妹」の顔と商標の「キューピー」の顔との類似によって、姉妹のかわいらしさが読み取れる。
ところで、商標や商品名は普遍性に欠けるということで敬遠しがちであるが、そんなことお構いなしで使っているところはある意味では実験的といえる。「丸美屋」という商標、「チョコボール」「キューピーマヨネーズ」という商品名が消滅したとしても、「ふりかけ」「チョコ」(チョコレートの略)「マヨネーズ」の言葉によって内容は十分伝わる。作者は商標や商品名を計算づくで使っているとしたらなかなかな詠み巧者である。
こういう意味で、この句集の「あとがき」で、坪内稔典氏が「工藤さんの俳句の言葉が今の時代の空気を生きている」という指摘は至言である。身の回りの自然が見失われつつある時代に即応するかのように、現代の風景を詠み込んだ工藤惠の俳句は「俳句五〇〇年の歴史の先端」(「あとがき」坪内稔典)を行くものとして評価するにやぶさかではない。
※本句集評は第2回「俳句大学大賞」の推薦文である。
※機関紙「俳句大学」第3号収録
永田満徳
『雲ぷかり』(本阿弥書店、2016年6月)は工藤惠の第一句集。「雲ぽかり」はとにかくおもしろい。おもしろくて、ゆかいになる。全体に軽やかでさわやかな読後感を与えるところは評価できる。
わたくしも金魚も水曜日な気分
と言われて、確かに「水曜日」ならではの気分があると思えてくるから不思議である。有無を言わせない強さを持つ。
心がこわれた天道虫が飛ぶ
後悔はたとえば金魚を産むように
壊れた心と飛ぶ天道虫とを取り合わせ、後悔を金魚に比喩としている句など、内面を読んでもそれほど深刻ではない。
書初めの名前が場外乱闘中
およそ俳語にはそぐわない「場外乱闘中」という措辞を堂々と持ってくることによって、筆遣いの力強さ、奔放さが伝わってくる。
就中(なかんずく)、読んでいて楽しいのは口語で表現される句である。
ブロッコリーいい奴だけどもう会えない
いやなのよあなたのその枝豆なとこ
青バナナ一肌脱がれてもちょっと
プードルのように貴方を抱くわ、雪
いずれの句も、肩肘を張らず、気楽に詠んでいる感じである。詠みぶりの自由さ、ひいては作者の精神の自由自在さを表している。この自由奔放さがこの句集の特色の一つといってよい。
句材としては料理名や食材が多いのも特色である。決して高級感のあるものではないところが句集全体を身近で親しみやすいものにしているが、読めば読むほど平凡な素材をただ事で終わらせないところに作者の技量を感じさせる。その秘訣は取合せ、季語の斡旋の巧みさにある。何の変哲もないフレーズを輝かせるのは季語である。
冷や飯にチャーハンの素春浅し
さくらんぼクリックすれば会える人
卵かけご飯の家族小鳥来る
「冷や飯に」は「春浅し」を当てることで春先の軽い食欲を描き込み、「さくらんぼ」は「さくらんぼ」を頬張りながら恋人に連絡する現代人の所作をうまく切り取っている。「卵かけご飯」は「小鳥来る」と取合せることによって微笑ましい家族風景が見えてくる。
取合せ、季語の斡旋の巧みさは次の商標や商品名が生な形で出てくる句にも見られる。
丸美屋のふりかけご飯春が行く
チョコボール空へ転がる立夏かな
日焼けした姉妹キューピーマヨネーズ
「丸美屋の」は刻々と「春が行く」感じがよく出ているし、「チョコボール」はのびやかな「立夏」な雰囲気が伝わってくる。また、「日焼けした」は「姉妹」の顔と商標の「キューピー」の顔との類似によって、姉妹のかわいらしさが読み取れる。
ところで、商標や商品名は普遍性に欠けるということで敬遠しがちであるが、そんなことお構いなしで使っているところはある意味では実験的といえる。「丸美屋」という商標、「チョコボール」「キューピーマヨネーズ」という商品名が消滅したとしても、「ふりかけ」「チョコ」(チョコレートの略)「マヨネーズ」の言葉によって内容は十分伝わる。作者は商標や商品名を計算づくで使っているとしたらなかなかな詠み巧者である。
こういう意味で、この句集の「あとがき」で、坪内稔典氏が「工藤さんの俳句の言葉が今の時代の空気を生きている」という指摘は至言である。身の回りの自然が見失われつつある時代に即応するかのように、現代の風景を詠み込んだ工藤惠の俳句は「俳句五〇〇年の歴史の先端」(「あとがき」坪内稔典)を行くものとして評価するにやぶさかではない。
※本句集評は第2回「俳句大学大賞」の推薦文である。
※機関紙「俳句大学」第3号収録