【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

「三島由紀夫と熊本の(下)」(「讀賣新聞」(九州版)11月28日(土曜日)付)

2020年12月17日 08時00分59秒 | 三島由紀夫
「讀賣新聞」(九州版)11月28日(土曜日)付
 
〜「三島由紀夫と熊本の(下)」~
 
◆副題「三島由紀夫と熊本」で、三島由紀夫と熊本との関わりに絞った企画で、一般的な紹介ではなく、深く掘り下げています。
● 熊本という地方から照射される真の三島由紀夫像とも言うべき記事です。
●晩年の三島の行動と思想は〈熊本〉という視点からでないと、見えてこないとつくづく思います。
◆「三島由紀夫と熊本の(下)」に続いて、再度登場しました。
◆三島由紀夫が熊本で語った「日本精神」について指摘しているコメントが載っています。
【内容】一部

三島が語った「日本精神」について、 熊本近代文学研究会の永田满德さん(66)は「神風連に象徴される敬神であり、現人神たる天皇への信奉だった。それらに基づく純粋な行動を何より重要だと考えた」と指摘する。

※このコメントを掻い摘んで説明すると、三島由紀夫が神風連理解の起点とした蓮田善明の神風連に関する「「日本人が信じ、大事にし守り伝へなければならないものだけを、この上なく考へ詰めた」という神風連の(敬神〉の言葉は、三島由紀夫にあっては、神風連の「神意のまにまに」の〈神〉をそのままスライドさせた形で、神格化された「現人神たる天皇」への信奉である。

 
 
「三島由紀夫と熊本」拙論の一部
三島由紀夫が神風連の理解で示した「目的のために手段を選ばないのではなくて、手段イコール目的、目的イコール手段」という「日本精神というもののいちばん原質的な、ある意味でいちばんファナティックな純粋な」行動を何より重要であるとし、事の成否とは無関係に〈三島事件〉を起こしたと言わなければならない。
 
三島由紀夫は〈三島事件〉に類似しているといわれる『奔馬』の取材で訪れているが、「神風連というものは、目的のために手段を選ばないのではなくて、手段イコール目的、目的イコール手段、みんな神意のまにまにだから、あらゆる政治運動における目的、手段のあいだの乖離というのはあり得ない。それは芸術における内容と形式と同じですね。僕は、日本精神というもののいちばん原質的な、ある意味でいちばんファナティックな純粋実験はここだったと思う」と述べて、つまり「目的の成就か否かにかかわらず、あるのは〈死〉のみという行動原理」(松本鶴雄)に深く共感を覚えているのは重要である。
 
画像:11月21日付の「讀賣新聞」
 

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「三島由紀夫と熊本(上)」(「讀賣新聞」(2020(令和2年)11月21日(土曜日)付)

2020年12月17日 07時48分46秒 | 熊本県支部俳句大会
「讀賣新聞」!
文化 九州・山口・沖縄
(2020(令和2年)11月21日(土曜日)付け
 
〜「三島由紀夫と熊本(上)」〜
 
◆副題「三島由紀夫と熊本」で、三島由紀夫と熊本との関わりに絞った企画で、一般的な紹介ではなく、深く掘り下げています。
◆私が「文藝文化」の蓮田善明の一文と三島由紀夫の繋りの深さを指摘しているコメントが載っています。
◆熊本という地方から照射される真の三島由紀夫像とも言うべき記事です。
◆ 「三島由紀夫と熊本の(下)」(来週に土曜日予定)では、「日本人が信じ、大事にし守り伝へなければならないものだけを、この上なく考へ詰めた」という言葉をキーワードにした、これまで書かれることのなかった三島由紀夫像が書かれることになります。
◆乞うご期待。
 
【内容】一部
 熊本近代文学研究会の永田満徳さん(66)は、三島が神風連を深く知ったのは蓮田を通してだったとみる。
 永田さんは「文藝文化」42年11月号には、蓮田が神風連について書いていることに注目。蓮田は神風連を「日本人が信じ、大事にし守り伝へなければならないものだけを、この上なく考へ詰めた」と論じており、「三島は蓮田の記事を目にしていたのはほぼ間違いない」というのだ。
 
画像・「讀賣新聞」
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角川『俳句年鑑』2021年版!

2020年12月09日 20時23分00秒 | 俳句
角川『俳句年鑑』2021年版!
 
〜60代男性「句境を深く掘り下げる」の欄に掲載さる〜
 
【年代別2020年の収穫 60代男性】
藤田直子氏選
 
永田満徳(昭和29年生) 63P
大阿蘇を踏石として月昇る 「未来図」12
秋の雨地にあるものは音を立つ 「未来図」11
熊本在住の作者。折々に阿蘇の雄大さを詠んできた。
二句目の、一切を省略した潔さも佳い。
 
(その他)
【全国結社・俳誌」一年の動向】
「俳句大学」410P
〈学長〉として
鰓呼吸したき残暑の夜なりけり  永田満徳
 
「火神」312P
〈編集長〉として
ボールペンくるりと回し春惜しむ  永田満徳
 
 
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コロナ禍におけるネットを使った俳句の展開

2020年12月05日 06時38分41秒 | 俳句

コロナ禍におけるネットを使った俳句の展開

永田満徳

 俳諧連歌が成立した室町時代末期より、俳諧の発句を芸術の域に高めた芭蕉による蕉風俳諧、正岡子規による近代俳句改革を経て、今日、俳句の歴史はおよそ五百年を閲している。そして、今や、俳句は、世界に開かれたインターネット時代を迎えて大きな転換期を迎えていると言える。

 六年前、俳句大学はネット時代を見据えて、俳句の可能性を探ることを目標の一つに掲げて創立された。ネットの長所としては、県を越え、国を越えて、個人が自らの俳句を発表できるということだろう。Zoomを使ったリアルタイムなネット句会も魅力的である。

 折しも、コロナ感染症を回避するために、情報通信技術を使ったテレワークという柔軟な働き方が推奨されてきている。俳句大学がインターネットによる俳句の活動の可能性を探ってきたことの先見性が発揮されることとなった。SNS交流サイトFaceBook やインターネット、夏雲システムを使った俳句活動を行っている。コロナ禍の影響は少なく、むしろ、より積極的に、より活発に活動していると言った方が妥当である。

 令和二年八月発行の機関誌「俳句大学」第四号は、Facebook「俳句大学投句欄」における、講師による「一日一句鑑賞」、会員による「一日一句相互選」や「週末は席題で一句」、Facebook「「Haiku Column」(以下に詳述)、中国圏の二行俳句のFacebook「華文俳句」や「俳句大学ネット句会」などを掲載し、ネット時代の俳句の可能性を探る俳句大学の取り組みの全貌を明らかにすることを目的に編集し、200ページに近い俳句誌になった。

 一昨年、日本俳句協会を設立した。

 日本の俳句界においては、主に、現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会の三協会が鼎立して久しいものがある。

 すでにインターネットの普及によって海外でのHAIKU作家との交流も格段に増えてきた。主にSNSを介したリアルタイムな交流も盛んになってきており、日本の俳句への関心も非常に高くなっている。

 そこで今こそ、今一度、芭蕉の俳諧精神に立ち返ることによって、世界に通用する俳句(HAIKU)における芸術性の復興が求められている。

 ネットに特化した日本俳句協会という新しい「場」は、国際俳句交流協会をはじめ、既存の俳句協会と互いに協力し合うことによって世界俳句の発展に貢献していくことを目指している。

さて、俳句大学国際俳句学部では、五年前にSNSの国際俳句交流の場を提供するFacebookグループ「Haiku Column」を立ち上げ、私は俳句大学の代表として運営に携わっている。人種、国籍を問わず投句を受け入れていることから、その「人道主義的」スタンスが広く支持されており、HAIKUによる国際文化交流が国際平和に繋がることを痛感している。世界中がインターネットで結ばれ、ネットにより瞬時に俳句の交流を行うことができる時代に即応した、新しい国際俳句の基準作りが急務と感じている。

二〇一七年四月に「俳句ユネスコ無形文化遺産協議会」が設立された。このこと自体に異議を差しはさむことはない。この運動によって、俳句が広く認知されていくことは俳句の国際化にとってよいことである。しかし、この運動を推進するに当たって、「何をもって、『俳句』とするか、そのコンセプトの共有に危惧を抱く」(西村和子『角川俳句年鑑』巻頭提言・二〇一八年版)という意見は重要である。俳句大学の〔Haiku Column〕ではHAIKUとは「切れ」による詩的創造による短詩型文芸であるとして、とりあえず、「切れ」が明確になる二行書きのHAIKUの普及に努力してきた。現在、三行書きのHAIKUが多いが、「切れ」の本質に立ち返る契機として二行書きのHAIKUの重要性は大きいと考えられる。

日本の俳句の翻訳の場合であるが、はやくも俳句の構造上による〈二行書き〉の問題を取り上げていたのは角川源義である。角川源義は『俳句年鑑昭和四十九年版』(昭和四十八年十二月)において、「俳句の翻訳はほとんど三行詩として行われている。これは俳句の約束や構造に大変反している」として、「私は二行詩として訳することを提案する」と述べ、「俳句の構造上、必ずと云ってよいほど句切れがある。切字がある。これを尊重して二行詩に訳してもらいたい」とまで言って、俳句の本質の面から二行書きを推奨している。「切字の表現は二行詩にすることで解決する」と結論付けることによって、「切れ」(切字)による二行書き(二行詩)を提言していることは無視できない。

とどのつまり、俳句の本質である「切れ」と、さらに俳句大学が提唱する「取合せ」は、二行書きにして初めて明確に表現できるのである。

百句を下らない日々の「Haiku Column」の二行書きのHAIKUの投句を見ても、日本人が発想しない「切れ」と「取合せ」を発見するたびに、俳句の国際交流が「俳句(HAIKU)」の解放と新しい現代俳句の展開に重要であることが痛感される。

従って、繰り返しになるが、国際俳句とは何か、ひいては日本の俳句とは何かのコンセンサスの確立がインターネット時代の「俳句(HAIKU)」の国際化にとって喫緊の課題である。俳句大学は、そのために、インターネットの積極的活用によって、海外の俳人との交流を深め、真の「俳句(Haiku)」の在り方を探り、ウィズ・ポストコロナ社会を見据えた国際俳句文化の更なる発展に寄与していきたいと考えている。

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華文俳句【俳句界】12月号

2020年12月03日 00時56分23秒 | 華文俳句

華文俳句【俳句界】12月号

【永田満徳選評】【洪郁芬訳】

Facebook「華文俳句社」より

洪郁芬

  •  

畫上音符的靈譜

波斯菊

〔永田満徳評論〕

「畫上音符的靈譜」是饒富詩意的描述,大概是指身體內部的韻律。風中的波斯菊搖擺,整個畫面是秋天的景象。搖盪的波斯菊與靈魂的旋律似乎有相同的波動,乃是作者細膩觀察之處。

 

洪郁芬

  •  

魂の楽譜に音符秋桜

〔永田満徳評〕

「魂の楽譜に音符」とは詩的で、身の内にあるリズムのことであろう。一方、「秋桜」が風を受けて揺れる様はいかにも秋の花らしい。「秋桜」の揺れと「魂」のリズムとの波長が合ったと表現しているところに繊細さを感じる。

 

雨靈

  •  

牆壁的技術士執照

鰻魚飯

〔永田満徳評論〕

描寫一幕碰巧發生在鰻魚店的情景。牆壁上掛著「技術師執照」,表示店裡的廚師有實力。也難怪眼前的鰻魚丼如此美味! 此俳句捕捉了作者在鰻魚店裡的所見所思。

 

壁にある調理師免許証

鰻重

雨靈

〔永田満徳評〕

たまたま入った鰻屋での出来事。「調理師免許証」が掲げてあるところを見ると、腕のしっかりした料理人であることが分かり、「鰻重」がおいしいのもそのはずだと思った瞬間を詠んでいる。店全体の特徴を的確に掴んだ句である。

 

 

胡同

  •  

鐘敲了十二響

壁虎

〔永田満徳評論〕

緩慢移動的蜥蜴搭配午後十二時的掛鐘聲響,營造一種夏日溽熱中時光慢慢流逝的氛圍。乍見之下僅是描述眼前的情景,卻因為切入的角度獨特而散發光芒。

 

胡同

  •  

掛け時計が十二回鳴る

蜥蜴

 

〔永田満徳評〕

のっそりと動いている「蜥蜴」と午後零時の「掛け時計」の少々長い音とを取り合わせることによって、暑いながら、ゆったりとした夏の午後のお昼時の雰囲気を描き出している。何気ない描写であるが、切取りのうまさが光っている。

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