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マイルドセブンとハイライト…

2007年12月14日 | ここで一服・水元正介
◎ 延べ11人の参加者、私が上から2番目に高齢だった。入学年次で言うと、自分が一番上で、卒業年次からする「そうでもない」のは、私が2年も留年を余儀なくされたからだ。というより、自分の「さぼり癖」や「世の中全般を甘く見る傲慢さ」が原因であったようだ(「ようだ」とは何だ、それが決定的な原因だろう、と別の自分がささやいた)。

◎ 50歳を越えた学友たちが、半数以上を占めていた。それぞれの個性は変わっていないし、無邪気な表情に「元気」をいただいた。日常的な毎日が、時を超え、あの頃の純真な気持ちに立ち返るひと時だった。良かれ悪しかれ「政治的人間」として暴走できた「あの頃」に悔いはない。みんな心優しく、気づかいのある心豊な、あれこれと旧友たちのことを思い合うのだった。

◎ そりゃー、白髪もシワも増えたけど、愛しく、心温まる、同じ釜のメシを食べた以上の「何か」が、確実にあると思ったのである。ちなみに、たばこ大好きの私としては出席者中4人が喫煙者で、マイルドセブン・スーパーライト2名、ハイライト1名、マイルドセブンプライム1名という内訳、最近公表された喫煙者率を少し上回る数値だったことが嬉しかった。(2006 11/24)
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溜池山王・環境派(今年最後の美化キャンペーン)

2007年12月14日 | 環境派シリーズ(美化キャンペーン)
◎ 栃木の家出たら、外は濃霧だった。「霧の栃木」というご当地ソングもあったと記憶しているが、まさにそんな感じなのだ。最寄りの駅のホームで電車を待っていたら、構内放送があって、京浜東北線・上野駅の事故により、上下線ともダイヤが乱れているとのことだった。予定していた東北新幹線に間に合うかどうか不安だったが、小山駅で乗り換えのルートを駆け上がり、どうにか発車ギリギリで滑り込むことができた。息切れと足がつりそうになった。

◎ 無理をせず、次の新幹線にすればいいのだけれど、今朝は溜池山王駅周辺の美化キャンペーンがあって、今年最後のとりくみだけに、どうしても参加したかったのである。集合時間前に到着し、喫煙コーナーで一服した。陽射しは暖かいが、風は冷たかった。受付をすませ、軍手と分別用の2つのビニール袋を手に、空き缶やたばこの吸い殻、菓子類の包装ゴミなどを拾ったが、本日、初めてお目にかかったゴミもあった。

◎ 壊れたビニール傘は以前から目についていたが、折りたたみ傘の柄は初めて拾った。それから、私は滅多に風邪をひかないので、身につけた感覚も忘れてしまったが、風邪や花粉症で使用される量は多いようだ。昔のタイプより薄手になり、機能もアップしているらしい。そんな使い捨てのマスクも落ちており、初めて拾ったのだ。また、ビルの従業員用と思われる折りたたみ式のスタンド灰皿も2点ほど発見し、写真を撮ってきた。「たばこ」の置かれているポジションについて、考えさせられる画像だとはいえないだろうか。
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水道橋の思い出 1971

2007年12月14日 | ここで一服・水元正介
◎ 今日の栃木は寒かった。行きつけのゴルフ練習場へカミさんと一緒に出かけた。来春には一人息子が進学のため、上京することが確実になったので、通学に便利な場所の賃対住宅で一人暮らしをするする予定だから、いよいよわが家も夫婦と一匹のハムスターによる毎日になりそうだ。上京といえば、この僕も18歳で福島県を後にしたわけだが、あれから35年、あっという間に過ぎてしまったような気がする。僕が初めに住んだのは、小石川の学生寮だった。そして、すぐに始めたアルバイト先が水道橋近くのレストランだった。蝶ネクタイをして働いていた。当時、後楽園球場に隣接した競輪場も営業していたので、巨人戦のある日や競輪のあった日は混雑していた。機嫌のいいお客さんから、「学生か、がんばれよ!」とチップをいただいたこともあった。

◎ でも、ヒマな時は仕事もなく、手持ち無沙汰だったので、「たばこでも吸ってみようか?」と思い立ち、レストランの近くのたばこ屋さんに行き、新発売の「ベルミニ」を買ったのが最初だった。なお、そのレストランの名前は「ビアレストラン・ラグーン」であったと記憶している。現在はビルも建て替わり、オーナーの弟さんが居酒屋を営業しているようだ(いずれかの機会に再確認してこようと思っている)。ちなみに、そのとき、オーナーが命名してくれた僕のニックネームは「田吾作」であった。度外れの田舎者、「いなかっぺ」、それが、僕の東京での偽らざる離陸地点だったのである。(2006 11/26)
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