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物部の森

日常感じたこと、趣味のこと、仕事のこと・・・等々
日記風に書いてます。

WBC第2ラウンド

2009年03月16日 | Weblog
 月曜日朝、WBC第2ラウンド:日本対キューバ戦を見るために4時半起床。前日、大丸屋で親父主催のホワイトデー宴会(私と弟の嫁へのバレンタインデーのお返し)で日本酒を飲んだので少し辛かったが頑張って起きた。その甲斐あってか、6対0でキューバに完勝。やはり圧巻は松坂のピッチング!シビれたネ!
 その後行われた韓国対メキシコは予想どおり韓国の快勝。これで決勝トーナメント進出をかけてまた韓国と対戦となった。
 しかし、これで韓国に勝っても負けても、どちらかが敗者復活から勝ちあがってきたらまたやることになるのか。しかもどちらも決勝トーナメントに進出すると決勝でも戦う可能性がある。最高5回やるんやね。「ダブルエリミネーション」方式は別に構わないが、せめて第1ラウンドの各組1位2位のチームは第2ラウンドで違う組に入るようにしないと…。対戦カードにバリエーションを生む工夫が必要だと思うが。アメリカの人、もうちょっと考えて下さい(^_^;)
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オープンハウスイベントにて

2009年03月15日 | Weblog
 快晴の日曜日、散歩がてらに近所で開催されていた某住宅メーカーのオープンハウスイベントに行ってきた。20代の時、営業担当をさせていただいた最大手の企業である。子供向けアトラクションとしてUFOキャッチャーができるということで、息子たちを連れて早い時間帯に行ったのだが、すでに4~5組の客が来ておりまずまずの賑わいであった。オープンハウス物件はなかなかの豪邸で、太陽光発電システム等最新の設備についても詳しく説明してもらった。二男はUFOキャッチャーでイベントキャラクターの人形をゲットして大喜び(^_^)

 ふと、当時担当していた先方の営業所の所長のことを思い出す。その所長は非常に気さくな方で、私のような若輩者が営業所に訪問しても、席にいらっしゃる時は遠くからでも手を振って向こうから挨拶をしてくれるような人だった。
 今でも忘れられないのは私に対して言ってくれた3つの言葉。


◆「Mさん(私)自身が細かい提案書や見積書なんか持ってきてたらアカンねん。それは代理店さんの仕事。もっと互いの実績が伸びるために、企業対企業でどんなことができるか、大きい話を企画してほしい。御社の営業マンの役目は企業としての総合力を相手にどれだけ提供できるかやで」

◆「うちの営業マンたちはMさんと同年代が多い。『Mさんと付き合ってたらお互いに社会人として伸びるな』と思わせるような関係づくりをしたってくれ。営業関係以外で『飲み会・勉強会』の企画とかでもええで」

◆(当方からの食事の接待いわゆる一次会が終わって)
「今日はありがとうございました。二次会は基本的にナシにしましょう。お互い遅くなってしまうし・・・。たまに宴会やって二次会・三次会とダラダラと引っ張り合うより、このような食事会をもっと頻繁にやって情報交換しましょ、その方が有意義ですわ。もちろん費用負担は両社交互にということで(笑)」


 私自身、決して優秀な営業マンではなかったが、よく可愛がってもらった。知恵のない「抱きつき営業」からほんの少しだけ進歩させてもらったのは、この所長のおかげである。
 OJT、OffJTはもちろんだが、「“お客さんに”教育してもらう」という機会も非常に大切だと思う。
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時間泥棒来たる

2009年03月14日 | Weblog
 週末11:00AM過ぎ、新規の教育会社が提案のため訪ねてきた。米国に本部を置く外資系の企業ということで、アポイントの時からどういう中身なのか少し期待していた。東京からやって来た先方営業マンと名刺交換する。ストライプのスーツにゴールドのネクタイ、なかなか“できそうなイデタチ”だ。簡単な企業紹介の後、教育メニューの提案ということで持ってきたパソコンを使い、パワポで説明し出した。

で・・・。

 そこから1時間以上ノンストップでずっとしゃべり続けた。お昼休みのチャイムが鳴るが、そんなことお構いなしだ。パッと見ればすぐ理解できるスライド1枚に同じことを繰り返しながら5~10分くらい時間をかける。
 私にとってあらゆるリソースの中で一番大切なものは「時間」である。絶えず「濃縮された時間」を過ごそうと意識して生きているので、それが自分でコントロールできない(=つまらない営業提案を一対一で聞き続けているような)状況下では非常にストレスが溜まる。
「ええ~、やはり業績を向上させるためには・・・(中略)、適切な行動をとらなければならないわけでありまして・・・(中略)、その行動のために意識変革を行う必要があり・・・(中略)、弊社の教育プログラムではその意識変革のために受講者の『気付き』を促し・・・(中略)、その『気付き』によりまして・・・」
 俺の不機嫌な表情にも“気付け”よ(-_-メ)
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【書籍】メメント・モリ

2009年03月13日 | Weblog
 『メメント・モリ』(藤原新也著、三五館)を読む。

 「メメント・モリ(Memento mori)」とはラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。本書の旧作は1983年に出版されずっとロングセラーだった。桜井和寿は本書に影響を受け、『花-Memento Mori』を書いた。私の友人にも「この本に救われた」という者がいる。この度、写真22点、コピー21点を新たに収録し、昨年末、この『改定版メメント・モリ』が刊行された。あまり野暮な書評はしない方がいいだろう、ガンジス川に浮かぶ死体の写真が「ニンゲンの死生観」を雄弁に語ってくれている。


私が好きなコピーはこれ。

‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐
肉親が死ぬと、殺生が少し遠ざかる。
一片の塵芥(ごみ)だと思っていた肩口の羽虫にいのちの圧力を感じる。
草を歩けば草の下にいのちが匂う。
信仰心というのはこんな浅墓な日常のいきさつの中で育まれるものか。
老いた者の生きものに対するやさしさは、ひとつにはその人の身辺にそれだけ多くの死を所有したことのあらわれと言えるのかもしれない。
‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐・‐
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Y姉さんからの手紙

2009年03月12日 | Weblog
 先日、珍しくY姉さんから手紙が届く。封を開けると中に手紙とともにエスニック調のおしゃれなフライヤーが入っていた。おお~!月末に実に5年ぶりのライブをするそうでその案内である。
 「世界大衆音楽祭」というイベントで、インドネシアやマレーシアのダンドゥットやムラーユ、タイのモーラム、アルジェリア移民のうた、ブラジルのサンバ、アメリカ・ルイジアナのケイジャン等々、世界中の音楽を奏でる予定とのこと。
 なかなかタイムリーな内容だ。というのも、少し前に義父がお世話になっている老健施設を地元の朝鮮学校の生徒たちが慰問に訪れ、朝鮮半島伝統の民族楽器を使った演奏や踊りを披露してくれた(上記写真)。私も一緒に鑑賞したのだがそれが大層良かったので、ちょうど『民族楽器大博物館』とかいう本を買って、民族楽器のことを少しお勉強してたところである。これは楽しみだ!
 「ライブの打ち上げも参加して何か演奏しなよ」とのお誘いも。当日、指が動けば何か演らしてもらうかもしれません・・・!?
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会議を「プロセス評価」してみる

2009年03月11日 | Weblog

 生産性の高い会議を行うのはつくづく難しい。

  先日他社の人から、「良い会議の条件とは?」という話を伺った。良い会議になるための条件というのは、

①会議が事前にデザインされている。 

②参加者の意欲が高まっていて全員の力が活用されている。 

③会議のレビューがなされている。

の3つなのだそうだ。

 ①はよく言われる「目的」、「議題」、「ゴール」、「招集メンバー」、「進め方」、「(結論の)共有化」などがきっちりと設計されているかということ。当たり前っちゃアタリマエなのだが、これすらなかなかきっちりとできていない会議が世の中には多い。

 ②も当然で、参加者全員が「会議に貢献しよう」という気持ちを持ち、また進行役がそれを上手くファシリテーションしていかなければならいない。

 面白かったのは③である。この場合のレビューというのは、議事録を取るとか議決内容を回覧するとかということではなく(それは①の範疇)、会議そのものが①、②の条件を満たして行われていたかどうかを振り返るということらしい。例えば、

・事前に「目的」、「議題」、「ゴール」、「招集メンバー」、「進め方」がきちんと定められていたか?

・参加者全員が目的に向かって議論できていたか?

・各自の発言量はどうだったか?

・進行役は上手くファシリテーションしたか?

・「(結論の)共有化」がきちんと図られたか?

というようなことをチェックする。これを行うと会議そのものの質が高まり、結果として良い結論やアイデアが出る会議ができるようになるという。

 通常、会議の良し悪しは「アウトプット」でみるのが一般的であるが、そうではなく「アウトプットに至る“過程”」により判断するということ。 「リザルト評価」から「プロセス評価」へ視点を移すことによって物事の本質が見える好事例である。

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Rod Stewart Live@大阪城ホール

2009年03月10日 | Weblog
 月曜日、Kさんと大阪城ホールへロッド・スチュワートのライブを観に行った。今回は13年ぶりの来日公演で大阪が初日。事前のネット情報ではチケットの売れ行きは6割くらいということだったが、2階スタンド席に布を被せてすべて封鎖し、販売済みのシートを“繰り上げ”で前の方に詰めていたので、場内はそこそこ埋まっているように見えた。さすがに客層は年配の人が多い、われわれは平均以下か。
 前半はオリジナルに加え、サム・クックやCCRのカバーを演ったりとアメリカン歌謡ショー的な色合いが濃かったが、途中10分程度の休憩を挟んだ後、後半は怒涛のヒットパレード。特に最後は『マギー・メイ』、『ホット・レッグス』、『アイム・セクシー』と場内のボルテージも非常に上がった。アンコールの拍手をしながら(あと盛り上がりそうなのは、『セイリング』くらいしかないぞ)と思っていたらやはりアンコールは『セイリング』。ところがロッドはそれ1曲を歌い終えるとエンディングのパフォーマンスもそこそこにステージを後にしてしまった。当然2度目のアンコールがあると思いきや、場内が明るくなり「本日の公演はすべて終了いたしました」のアナウンスが。(うっそ~、もう終わりかいっ!?)周りの人たちは特に文句を口にすることなくゾロゾロと席を立ち始めた。(休憩やバンドのメンバーが歌っている時間を除いたら1時間半くらいしか演ってないぞ。それでええんか!?やらしい話SS席16,000円やぞ。それでええんか!?大人やぁ、みんな大人や(-_-メ))
 全体的にロッドもいい意味での余裕を醸し悪くない雰囲気だっただけに、最後淡白に切られてしまったのは残念。次の武道館、さいたまスーパーアリーナ公演までに軌道修正求む。

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【書籍】国家の謀略

2009年03月09日 | Weblog
 『国家の謀略』(佐藤優著、小学館)を読む。



「20歳までに共産主義に傾倒しないのであれば情熱が足りない、
 20歳を超えても共産主義に傾倒しているものは知能が足りない」
  ↑ チャーチルが言ってたなぁ、こんなこと。


「20歳までに落合信彦に傾倒しないのであれば情熱が足りない、
 20歳を超えても落合信彦に傾倒しているものは知能が足りない」
  ↑ ハタチの頃は貪るように読んだ。


「20歳までに佐藤優に傾倒しないのであれば情熱が足りない、
 20歳を超えても佐藤優に傾倒しているものは知能が足りない」
  ↑ 何年か先、こんな風にならなければよいが…。



 本は面白い。オトコは基本的にスパイとか諜報活動とかの話好きだから(笑)
 それにしてもこのヒト、すごい出版ペースだ…。
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WBC第1ラウンド

2009年03月08日 | Weblog
 WBC、日本代表は韓国代表に14-2(7回コールド)と圧勝。サムライジャパンが世界一番乗りで、2大会連続で米国での第2ラウンド進出を決めた。
 それにしても韓国戦は球場のファンのボルテージの上がり方や両国のメディア報道(いわゆる“場外戦”の部分)などをみてても「国vs国」の様相が色濃く出るので疲れる…。スポーツの試合なのになんか余計な感情というかノイズが入ってしまうのだ。イチローも自身の発言の影響力を考慮してか当たり障りのないコメントに終始していた。まあ世界中見渡しても隣国関係で和気あいあいなんて所はほとんどないからね。「近くて少し違う存在」というのは最も燃えやすい相手になるのだろう。
 大敗しても韓国が強敵なのは間違いない。第1回WBC(日本は1次2次リーグともに韓国に連敗し準決勝で勝利)の逆のパターンで日本が最後の最後で負けてしまうというパターンが最悪。日本のV2のためにも、できれば韓国には今日の中国戦で消えてもらいたいが、まあ、それはないか。


追伸)
阪神岩田緊張してたなあ、何かヨレヨレだった(^_^;)。でも良い経験になっただろう。
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My Sweet Home

2009年03月07日 | Weblog
 金曜日は少し遅めの時間からM君夫妻の結婚お祝い会。本人からは「参加者全員と話ができるよう、メンバーを絞った飲み会がいいです」という希望もあり、「小じんまり&温かく」をコンセプトに、北東バッドボーイズの面々で鰻谷の“茶芸”が名物の中華料理店で円卓パーティ、というかたちにした。冒頭M君から奥さんの紹介があり、その後は歓談。大勢のオッサンに囲まれて美人の若奥様は少し緊張気味だったかな?
 大層な演出はいらいないということだったが、やはり何もナシというわけにはいかず(というより私個人がやりたかったのだ(^_^;))、「恋のから騒ぎ」をモチーフにしたテーブルスピーチ&インチキ祝電で会場の爆笑(ウケてたよネ、ネ!?)をさそう。
 二次会は、近くのカラオケボックスへ移動しカラオケ大会。その後M君夫妻は帰宅し、残りメンバー全員で神座(かむくら)ラーメンへ。ホントこちらも幸せな気分になれる一夜だった。
 あらためてM君&Cさんおめでとう!温かい家庭を築いて下さい\(^O^)/
 そしてT先輩・K先輩、ナイス仕切りでした、お疲れさまでした、ペコリm(__)m

 私からのお祝いソングはこれです。
Takeuchi Mariya - My Sweet Home 家に帰ろう



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肉吸い+つけ麺 ~そば編~

2009年03月06日 | Weblog
 寺田町の「名物かすうどん」(←屋号です)に「肉吸い+つけ麺」という新メニューが増えていたのでお試しにと注文した。肉のお吸い物に、ラーメン、うどん、そばのいずれかをつけ麺として選ぶ。とりあえず珍しいのでそばにした。大将に、「でもこれって結局『肉そば』っちゅうことやろ!?」とたずねる。
「ちゃいますねん。つけ麺として食べてもらえるよう出汁の味付け変えてますねん」
確かに汁だけ飲むと美味いが少し濃い目の味である。これなら飯モンも進むな、ということでおにぎりも注文した。
「替え玉もいけますよ、ラーメンでもうどんでも」
ということだったがお腹一杯。ラーメン、うどんは次の機会にトライ、その日はそう遠くないはずだ。
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【書籍】菜根譚

2009年03月05日 | Weblog
 『菜根譚』(洪自誠著、神子侃・吉田豊訳、徳間書店)を読む。

 『菜根譚(さいこんたん)』は、中国古典の一つ。別名「処世修養篇」(孫鏘の説)といい、中国明代末期に、洪自誠が残した随筆集である。前集222条、後集135条からなる。主として前集は社会生活向上の心得を説き、後集では自然と閑居の楽しみを説く。『菜根譚』は体系的な哲学書ではなく、筆者が思いつくままに書いたアフォリズムであり、各章句の前後の脈絡も明確ではない。ただ全体として本書に描かれる中心思想は「中庸の徳」であるとされている。要は「ほどほどに」ということ。

 読みながらアンダーラインを引っ張った句の中で、『花三態』というのが特に印象的だった。

 富貴名誉、自道徳来者、如山林中花。自是舒徐繁衍。
 自功業来者、如盆檻中花。便有遷徒興。
 若以権力得者、如瓶鉢中花。其根不植、其萎可立而待矣。

 <訳>
 すぐれた人格によって得た地位名誉は山野に咲く花。放っておいても伸び伸びと育つ。
 功績によって得た地位名誉は鉢植えの花。ご主人の気持ち次第で植えかえられたり、捨てられたり。
 権力にとり入って得た地位名誉は花瓶にさした花。見ているうちにたちまちしおれる。


 こういうのを読むと学生時代、古文・漢文をもっときちんと勉強しておけばよかったと思ってしまう。
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我が家の住み心地は?

2009年03月04日 | Weblog
 前々回、家の「住み心地」というようなことを書いたが、我が家の「住み心地」っていうことを改めて意識することはないなあ。

 今住んでいる所は築30年近く経つ古い家だが、間取りは5LDKと広さだけは相当ある。この家を建てた祖父母は新しいモン好きで、設計者の建築家と色々と相談しながら、家の中に坪庭、LDKには対面型キッチンや掘りごたつ、風呂・給湯は電気温水器(当然外したが)、押入れとは別に収納専用スペースや天井裏収納庫、等々を備え付けた。当時としては相当斬新だったと思われる設計である。
 祖父母とも亡くなりしばらく空き家のままだったが、4年前ここに移り住むことになった時に、リフォーム仕様を自分で考え(これが結構楽しかった)、「この内容をいくらでできるか」という形で数社に相見積りをして業者を選定し、設備・内装を中心に手を加えた。
 いかにも瀟洒な高級住宅だとなかなか人は訪れにくいかもしれないが、我が家は外観は適当に古く、でも中はだだっ広いということで、息子の友人たちにもわりと“敷居が低い”ようだ。息子のオープンなキャラクターと相俟って、とにかく人が遊びに来る。今の家に引っ越してから4年近くが経つわけだが、その間の来訪客は延べ数千人というレベルだろう(もちろん数えたことないけど・・・)。いつも家の前には子供用のチャリンコが何台も放置されており、そこを通りかかる私の地元の友人は「昔のお前の実家の前と同じ光景が繰り返されとるなあ」と笑う。

 「住み心地」ならぬ「居心地・遊び心地」は相当良いようである。
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【エッセイ】クーペ・スタイル

2009年03月03日 | Weblog
 東京の友人O氏から久しぶりにメールが届く。O氏は建築デザイナー&商業プロデューサー、自分のことは「職業:戦略家」だと言う。いわゆるインディペンデント・コントラクターなのだが、その辣腕ぶりと顧客の信頼から東京を中心に常に複数のプロジェクトを抱えて仕事をしている。ただ感心するのは決して仕事一辺倒ではなく、たまに突然1年間くらい休業し「充電期間」に充てたりするところ。インプットも怠らない。今回連絡が久しぶりだったのは、まさにここ1年くらい仕事を休み、プライベートジムで徹底的に体を鍛えたり、自分の住む家の家具の製作などをしていたからだそうだ。
 メールにはおびただしい数のワードファイルが添付されている。O氏が某雑誌にずっと連載していたエッセイの原稿である。私はこのエッセイ「クーペ・スタイル」が好きでよく読んでいたのだが、なにせ雑誌の値段が高く立ち読みが主であった(笑)。以前本人とそんな話をした時に「今度原稿送るよ」と言ってくれてて、先日連載が終了したのを機に全原稿データをメールしてくれたのだ。早速全部出力する(凄い量!)。生活の中におけるモノや事象をキーワードとし、どのように充実してかつオシャレに暮らしていくかが読みやすいタッチで書かれている。家でビールを飲みながら(またそういうシチュエーションが似合う内容だ)まとめて読んだ。う~ん、やはり面白い・・・!。
 このエッセイに限らずO氏と直接話をしていても、いつも恐れ入るのは彼の複眼的視点。件のテーマについてズバリ本質的なことを述べているかと思うと、別のテーマでは「こんな考え方アリ!?」といった常人とは違う切り口の意見を語る。野球のピッチャー風にいうなら「右の本格派」と「左の技巧派」どちらも使い分けることができるのだ。本エッセイの中の表現をそのまま借りると「新しい概念を生み出す、引き出すことを生業としている私のプライド」に非常にこだわっている。タメ年なのにこんなにセンスやバイタリティが違うものかとジェラシーすら感じる(^_^;)
 まあ、羨ましがっても始まらない。次回大阪に仕事で来るときには一緒に飲もうという話になった。「万物万人師たらざるものは無し」、しっかり楽しく学ばせてもらいます!
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安藤忠雄建築展 「挑戦 ~原点から~」

2009年03月02日 | Weblog
 週末、TOTOテクニカルセンターで開催されている「安藤忠雄建築展」を見に行った。
 テーマが「挑戦 ~原点から~」とあるように、安藤氏の名前を世に知らしめたまさに原点の仕事「住吉の長屋」の模型や図面も展示してあった。三軒長屋の真ん中の家を潰して中庭を配置するエキセントリックな設計。両端の居室へ移動するには一度外へ出ることになる。デザインとして鑑賞するのはいいが、個人宅としては大変住みにくそうである。氏はいわゆる“大箱”やランドスケープばかりでなく、個人の居宅の設計も数多く手がけているので、どうしてもその「居住性」について論じられることが多い。
 以前何かのインタビューで、
「僕の設計した家は、夏は暑くて冬は寒い。家に体力を合わせて住んでほしい」
とコメントしていたのが印象に残っている。また氏が設計した個人住宅で、上層階にはめた窓が位置的に素人ではメンテナンスできず、毎年弟子の人がそのお宅を訪問して窓の洗浄をしている、という話も聞いたことがある。
 「(個性的な)デザイン」と「居住性」は両立しない概念なのか!?
 家(特に持ち家)の中で、不具合な部分に「ココ何とかしたいなあ」と思いながらも、構造上あるいはデザイン上、どうしようもないといった所がある場合、それは相当ストレスになる。「住み心地」なんてことを全く意識しないで生活できる家、それが真に「住み心地の良い家」なのかもしれない。
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