いつも
当たり前に使っている言葉(概念)は
デジタル文化生活に都合良く
深い接続を切断して丸め込み
あるいは型に嵌め込んだ代物かもしれません
おそらくこれが
わたしたちの顕在意識が過去から選択し
結果的に
わたしたちが意識場で遭遇している
10進法的思惟思考生活での便利な面でもあり
安易に過ぎて本源生体アナログ電気を
笊(ざる)のように甚だしく漏らし
遂にはデジタル回路の袋小路に陥る
原因でもあるのでしょう
五感世界と物理対応させた10進法的処理は
極めて便利な生活を演出しますが
それを支える時空元(層)の静穏静謐な
仕組み世界を完全無視するリスクが多大です
敬虔と感謝の深い自己内省による
クライン流の補修がなければ本源成立しない
仮初(かりそめ)の
過去的数理体系であるようです
9進法的思惟思考への回帰が
静かに問われて来るでしょう