人は自然量子環境の全的享受者であると共に護り人であり 他の動植物と共有の量子
ライフラインに使命を護るべく繋がれている。そのことを第一義と成すべきなのであ
る。
一年まえの記事の文章だが まさにその通りなのである。
人は自然量子環境の全的享受者であると共に護り人であり 他の動植物と共有の量子
ライフラインに使命を護るべく繋がれている。そのことを第一義と成すべきなのであ
る。
一年まえの記事の文章だが まさにその通りなのである。
当時は 子どもながらに宗教は依るべからざる対象としていた。それは子供心に怪
しき大人の背中(背後)に闇(光無き様)を観察しており 『人』として天賦の理
性を欠いた大人たちの背後には良心の光が途絶した有りの儘が写ると知らされてい
たのだ。表層脳記憶の偽の神 偽の正義 偽の概念に囚われた地球人の悍ましい姿
が純真な子どものクライン環の鏡には写っていたのである。
しかし 成長するにつれ社会の膨大な似非情報に私の表層脳も劣化し クライン環
のダイレクトな自然神の光は喪われていったのである。そのために無垢な良心で物
事を量る深層能力は目隠しを架けられ 次第に表層脳洗脳で社会に関わろうとする
羊脳へと劣化してしまったのである。地球人は多かれ少なかれこの悲哀を味わって
来た筈である。
そして 多くの人々は日々やせ細る良心をなす術もなく表層脳の物理的力に反旗も
翻すことなく 自然神の光ではない「禍モノ」に引き摺られてしまうのである。
私は幼きころから果敢に魔物に挑んだのであるが一見敗北の履歴となった。だが
自然神は『人』を決して見限ることはない。『人』に良心のある限り自然神の輝き
は喪われることはない。不滅なのである。