本当は常夏というか常春が自然本来の姿なのだろう。
そのように植物たちの本音はつぶやいている。
中でも榊は真冬でもその葉は緑の輝きを失わず神々しい。
だからこそ神前に恭しく捧げられるのだろう。
自然量子共鳴が最も安定域に到達すればこの領域も
穏やかな常春の環境が顕われるかもしれない。
… … … … …
この文章を書いた時は つまらない記事を書いてしまったなと落ち込んでいた。し
かし 本当に大切なのは表層の偽神を仰ぐことでも 形式のさもありなんとする悪
魔に同調することでも無い。形のみ整え恭しく榊を捧げることでは断じてない。
元々すべての条件を兼ね備えた自然そのものに 自然そのものである私たちがクラ
イン環共鳴することなのである。