洗心 senshin

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二年前の記事。 「生きよう。」

2024-12-16 10:10:30 | つぶやき

一年前の記事「生きよう。」

生きよう。究極の真実を言えば この自然界の中で生きる生命体は大自然より創造され生かされ護られている。ことさら究極などと冠せずとも あらゆる次元を通じて当たり前に立体作動してい......

究極の真実を言えば この自然界の中で生きる生命体は大自然より創造され生かされ護られている。ことさら究極などと冠せずとも あらゆる次元を通じて当たり前に立体作動している大自然の法則である。

これらの真実は言葉に出さなくとも 元より与えられた深い意識に生命が保有している生命存在の大前提なのである。永い間 地球人はこの当たり前の真理を表層脳に埋め込んだようだが それは表層印象のみの誤操作でしかなかったのだ。

つまり 言葉そのものは記号であり3次元のパルスに帰する。『人』がその自然量子器械としての立体機能で共有してこそ その言葉は漸く生命波を帯びる。次元間を行き来できる霊質波として輝くには『人』の真摯な祈りが無くては成立しないのだ。

それらの顕潜統合意識による神の子の当然の努力を怠って漫然とバイオロボットとして生きて来たのが現世人類であるかとも言えよう。今からでも決して遅くはない。3次元の言葉ではなく紙の上の神ではなく大自然の大クライン環から共振接続する眞の真理を享けて生きよう。


… … … … … 

(一年前の感想)
今現在の 己の思惟思考の共振周波数がどれほどの領域のものか試行錯誤しながらも探査するのも味わい深い人生である。 折角 惑星人として生を享けたのであるからその僥倖の源泉を生きているうちに確かめたいものである。


まさにこれからの地球は バイオロボットで終わるか はたまた 自然神の代行存在になれるか そのような『神』∞『人』共振の惑星文明が開化していくのではないだろうか。


『人』と『人』の触れ合いの中に『神』の輝きを垣間観れたならば その人生はどれほど虹色に輝くことだろう。

(本年の感想)
バイオロボットで終わるか はたまた 自然神の代行存在になれるか そのような『神』∞『人』共振の惑星文明が漸くにして開化していくことになるだろう。記憶平面価値への囚われを解消し『自然クライン環』共振意識で眞の『神』の輝きを共有したいものである。

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