過去記事の中には明らかな認識間違いもある。
訂正しようとの考えもあるが その時の認識障害の証拠として残す意味もあると考
える。
そうした記事は引用記事に多い。
その時は引用記事の表面的な印象に釣られ 深層の真偽を十分に審神することなく
引用してしまったことにある。
まだまだ 大正転の過渡期である。巷に押し寄せる潮流には眞を装った偽 偽を敢
えて泳がす眞もある。究極に私たちがブレてはならないのは大自然創造原初にダイ
レクトに繋ぐ『眞實』である。その姿勢がすべてを正転させてゆくのだ。