を観る。
音楽がJ・A・シーザーで振付が伊藤キム、主演が舘形比呂一とくれば、だれしもパフォーマンス色の濃い公演を期待するだろう。だが、実際はかなり重めのセリフ芝居だった。
カスパーに言葉を教えるたかお鷹氏が大活躍。「言葉がわからなければ人間とはいえない」・・・等、一見もっともらしい論理が展開されるのだが、言外にひそむしこりのようなものが最後に爆発するしかけになっている。
言葉を覚えて社会的な存在になったカスパー(中川賢)と、それまでと変わらない闇を抱えるカスパーが分離して、デュオで踊るシーン。バックの音楽は、普通なら踊りには使わないようなジャーマン・プログレ風の陰鬱なもの。万有引力や月蝕の時とは違ったパターンで、おもしろかった。
プログラムにシーザーの一文が。「寺山修司はカスパーのような人だった。彼にとっては東京が生まれ故郷であり、青森時代はいわば神話の時代。だから、好きなように書き変えることができた」、とか。