あびゅ

2020-10-31 18:01:13 | アニメ・ゲーム

 グラブルのイベントが、エグいわ。

 古賀葵と花守ゆみりのコンビ。これって「かぐや様」のまんまだし、二人の関係も似てる。でも、こっちの方が設定といい演技といい、極端なの。アニメよりも過激だわ。これは、一見の価値があると思うわ。
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コーランを読む 4

2020-10-30 16:05:35 | 

 「また汝(マホメット)に啓示されたもの(コーラン)ならびに汝に先立って啓示されたもの(旧約聖書と新約聖書)を信仰し、かつ来世を固く信じて遅疑することなき者ども。かかる者どもこそ己が主の導きの道を踏み行く人、かかる者どもこそやがて栄達に至る人々」(2、3~4)。

 「さらに我ら(アッラー)はお前(マホメット)には真理の書(コーラン)を下し与えて、それに先だって啓示された聖典(旧約聖書と新約聖書)の固めとなし、確めとなした」(5、52)。

 以上からわかる通り、コーランは旧約聖書と新約聖書を前提としており、それらを確証するものとされている。イスラム教徒は聖書をコーランと同様、尊重しなければならない。「これ汝ら、信徒の者よ、アッラーと使徒(マホメット)と、使徒に下された聖典と、それ以前に下された聖典とを信仰せよ」(4、135)、なのだ。というわけで・・・。

 コーランによれば、アダム(アーダム)を創ったのはアッラー。ノア(ヌーフ)に箱船を造らせたのもアッラー。アブラハム(イブラーヒーム)、聖母マリア(マルヤム)に息子を授けたのもアッラー。すっかり聖書を乗っ取ってしまっている。さらに・・・。

 コーランによると、イエス(イーサー)は神ではなく使徒=アッラーから遣わされた預言者であり、普通の人間に過ぎない。当然、彼の死と復活は否定される。「どうして殺せるものか。どうして十字架に掛けられるものか。ただそのように見えただけのこと」(4、156)。つまり、イエスに似た男が殺されたのだ、という。
 「三位一体」も否定される。ただの人間がアッラーの子であるはずがない。「決して『三』などと言うてはならぬぞ」(4、169)。ちなみに聖霊は、イスラム教では天使ガブリエル(ジブリール)と同一視され、アッラーの啓示をマホメットに伝える役割を果たす。

 キリスト教徒には、到底受け入れられない。イスラム教徒との争いが絶えないのは、当然なのにゃ。

 
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4ヶ月ぶりに

2020-10-29 13:16:40 | 自転車

ロードバイクに乗ったにゃう。今回のパートナーは、コルナゴ・マスターXライト。

 コロナじゃなく、長雨のせいにゃ。9月から10月にかけて、50パーセント以上の確率で雨だったのにゃ。二ツ塚峠をクリアして、調布橋で記念撮影にゃ。青梅なのに調布って・・・。ぶふっ、うける、うけるにょっ!!
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いっぺんヤッてみたかったんです

2020-10-28 13:07:39 | 下ネタ

 これがほんとの手コキア。もしかして、世界初かな。ワーッハッハッハッ!!
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コーランを読む 3

2020-10-27 17:02:23 | 

 「我ら(アッラー)が以前に啓示した文句を取り消したり、わざと忘却させたりする場合には、必ずそれ以上か、それと同等の代りの文句を授けるようにしておる」(2、100)。「我ら(アッラー)が或る文句をやめて他の文句に替えるようなことがあるとーアッラーは勿論全部意識して啓示しておられるー彼らは早速、『どう見てもお前(マホメット)が自分で捏らえているに違いない』などと言い出す。実は、大抵の人間はなにもわからないだけのこと」(16、103)。

 というわけでアッラーは、平気で前言撤回する。コーランの内容は矛盾だらけだ。井筒俊彦先生によると、「コーランは長い年月にわたって少しずつ成立していったものなので、世の状態の変化やマホメット自身の内的成長につれて、以前の言葉を後に啓示された言葉が否定するような箇所が次第にふえて来た」のだ、という。たとえば・・・。

 「神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい」(9、5)。だが、同じ章に違う言葉がある。「されば、この期間(神聖月)には汝らお互いに害しあってはならぬぞ。だが、多神教徒は徹底的に攻撃するがよい」(9、36)。はて、神聖月に多神教徒を殺してもいいのか、どうか。それすらもわからない。

 こんな調子だから、イスラム教徒どうしの争いが絶えないのだ。

 
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コーランを読む 2

2020-10-24 11:53:24 | 

 「宗教には無理強いということが禁もつ」(2、257)。「何もお前(マホメット)が一々みんなの手を引いてやることはない。アッラーが御心の向いた者を自由に導いて行き給う」(2、274)」。「お互いに争って不信仰にはしる人々のことでお前(マホメット)までがなにも悲しがることはない。彼らが何をしようとアッラーには何の害も及びはせぬ。アッラーはあのような徒には来世の分け前を下さりはしない。ただ恐ろしい罰が待っているばかり」(3、170)。「お前(マホメット)が、嫌がる人々を無理やりに信者にしようとてできることではない。何びともアッラーのお許しなくしては信仰に入ることはできぬ」(10、99~100)。

 つまり、ISを始めとするイスラム過激派、世界中の人々にイスラム教を押しつけようとする連中は、コーランの教えに背いていることになる。彼らは最後の審判の日に、ジャハンナム(ゲヘナ)へ落とされるのだ。
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「寺山修司ー過激なる疾走ー」

2020-10-21 19:53:31 | 演劇

のDVDを観る。流山児★事務所。

 見どころは終演後のトーク。月蝕歌劇団は、劇中でよく古い歌謡曲を使ったが、若い劇団員たちは・・・。「何もわかんないですよ」(森永理科氏)というのが正直な感想だったという。

 あと、大久保鷹さんが劇団員たちと接して抱いた印象。これがなかなか素敵なので、ファンの人はぜひ観てみてにゃ。
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で、ニュースを届けたのか?

2020-10-18 14:43:24 | 

 愛すべき産経抄だが・・・。

 ショーペンハウアーはこうも言っている。「すなわち彼らの名はジャーナリスト。適切きわまる名前ではないか。これをドイツ語に訳すと日給取り」(「著作と文体」)。「匿名こそ文筆的悪事、特にジャーナリズムの悪事一切の堅固なとりでではないか。したがってこのとりでは、根こそぎ破壊されなければならない。すなわち一般にいかなる新聞記事にも、執筆者の名前を付し、署名の正しさについては編集者にきびしく責任をとらせるようにしなければならない。このような措置をとれば、とるにたりない人物の住所でも明らかなのであるから、虚偽の新聞記事の三分の二までが消滅し、厚顔無恥の毒舌も制限をうけることになるだろう」(同)。いずれも「読書について」所収。岩波文庫。ちなみに、有名な「読書について」は20ページほどだが、「著作と文体」は100ページを越える。

 あんなに安倍総理と仲良しだったのに、産経新聞の販売店はめっきり減っている。地域によっては、朝日新聞の販売店が配達を請け負っているほどだ。「変わらない姿勢」も、いつまで続くことやら。
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確かに名言だが・・・

2020-10-17 14:41:52 | 

 ショーペンハウアーのこの言葉は有名だが、彼は代表作の「意思と表象としての世界」では違うことを言っている。「この本を読む前に、プラトン、カント、古代インドの聖典について学んでおけ」。つまり、「大いに本を読め」と言っているのだ。

 実際、彼は読書家で、特にヘロドトスの「歴史」を愛読していたらしい。頻繁に引用が出てくる。

 「読書について」では、アケメネス朝ペルシアのクセルクセス王のこんなエピソードを引用している。ギリシア征服に向かうペルシアの大軍を見て、クセルクセスは涙を流した。なぜかと問われて、彼は「これだけ大勢の人間がいても、何十年か経てばほとんど全員死んでしまうのかと思うと、哀れで・・・」と答えた。これと同様、「たくさんの本が出版されているが、数年後にはほとんどすべて忘れ去られてしまう」、とショーペンハウアーは書いている。

 「知性について」では、プラタイアの戦いの前に、あるペルシア人が漏らした嘆きを引用している。「われわれは、ギリシア軍に敗れるだろう。だが、それがわかっていても、将軍の命令には逆らえないのだ」。その後でショーペンハウアーは、「知は力なり」という言葉はウソだと断じている。「知性は、意思を満足させるための道具に過ぎない」。

 「意思と表象としての世界」で、ショーペンハウアーは「意思の廃絶」を説いているが、その具体例として、全ギリシアのためにテルモピュライの戦いで討ち死にした、スパルタのレオニダス王を挙げている。もっともレオニダス王は、「ペルシア軍を殲滅する」という意思だけは捨てなかったのだが。
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学問の自由?

2020-10-15 12:25:38 | Weblog

 日本学術会議の任命漏れの件で、「学問の自由の侵害ではないか」という声がある。学生が「この教授の下にいたら就職しづらくなる」と考えて、任命漏れの教授から離れていく、というのだ。だが・・・。

 学問の自由と就職は、別の問題ではないか。就職とは関係なしに、とにかく自分の学びたいものを学ぶのが学問の自由というものだ。任命漏れの教授に学んだ人間を敬遠するような企業は、自分の学問を生かせる環境にはない。そういう企業は、むしろ学生の方から避けるべきだ。

 教授にしても、たとえ大学を追われたとしても、学問を続けることはできる。自分の塾を開けばいい。いや、ソクラテスのように、町で出会った人に議論を吹っかけるというやり方だってあるではないか。

 おっと、忘れていた。ユーチューバーになるという手もあるぞ。
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「フランク史 10巻の歴史」

2020-10-12 07:07:25 | 

を読み終える。印象深いのは・・・。

 ユダヤ人に対する迫害は、6世紀からあった。クレルモンの司教が、ユダヤ人にキリスト教への改宗を迫る。「いやなら町から出て行け」、と(5、11)。結果、500人が改宗し、少数がマルセイユへ去った。
 改宗も退去も拒否したら、ユダヤ人はどうなったのか。考えるだけで恐ろしい。

 魔女狩りも行われていた。王子を呪い殺した疑いをかけられた女たちが、拷問の末、扼殺、火あぶり、歯車の刑(歯車に絡ませて背骨を砕く)にかけられた(6、35)。これと同じことが、以後1000年以上も続くのだった。

 当時の軍隊には、「軍規」というものがなかった。ヒスパニアを目指したフランク軍は、途中の自国内で殺人、放火、略奪を繰り返す。教会も標的になった(8、30)。

 血なまぐさい現実の一方で、キリスト教の三位一体についての議論もある。この両者の間を著者グレゴリウスの視線が揺れ動くのが、おもしろい。
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意外なことではない

2020-10-01 07:15:26 | Weblog

 共同通信の柿崎明二氏が、菅政権の首相補佐官に起用された。リベラル派の彼がなぜ、という声が強いが、そもそも彼はリベラル派だったのか。

 ていうか、新聞記者にリベラル派はいない、とワシは思う。たとえば、あなたがある県の支局の記者だとしよう。休日に隣の県に遊びに行く時は、上司に前もって伝えておかないといけない。また、休日でも支局に電話を入れて、何か変わったことがないか確認しないといけない。つまり、記者に完全なプライベートは存在しないのだ。軍隊や警察に近いシステムだ。自由を愛する人間なら、とてもこんな生活には耐えられない。何十年も記者勤めができる人は、ガチガチの「組織人」だと考えていい。口ではリベラル派っぽいことを言っても、実は個人の自由より常に組織の利益の方を優先させる人間なのだ。政権の中に入っても、この資質は生きるだろう。

 ワシも新聞記者だったが、さっさと辞めたおかげで、こうして健康に生きていられるにょ。
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