サウルの次に王になったダビデ。彼には多くの妻や側女がいたが、中でもバテシバとのエピソードが秀逸だ。
ダビデはある日、王宮の屋上から、人妻のバテシバが水浴びをしているのを見てしまった。そのグラマラスさに圧倒されたダビデは、すぐさま彼女を連れてこさせて、ヤッてしまう。夫の方は王の権力を使って戦場に送り、敵の手で死ぬように仕向けてしまう。
王宮の屋上からヌードが見えるとは、よっぽど王宮の近くに住んでいたのか。また、彼女がダビデに抵抗したという記述は、まったくない。夫が戦死して悲しんだという記述も。おそらく、女の方から誘ったのだ。
それはともかく、彼女はソロモンの母になる。
ダビデは、契約の箱 ( 十戒が刻まれた石板が入った箱 ) がエルサレムに運び込まれた時、喜びのあまり、民衆の前で 「 裸踊り 」 を披露して、妻の一人にたしなめられたという。
また彼は、さまざまな楽器を作ってその使い方を人々に教えたという。
ディオニュッソス的な感じがする王様なのにゃ。これもギリシャ文化の影響なのか、それとも、そもそもそういう王様だったのか。
神は、預言者サムエルを通してサウルに命じる。「 アマレク人を攻めて、女や乳飲み子も含めて一人残らず殺せ。彼らの家畜も生かしておかず、すべて神に捧げよ 」。
だが、サウルはやり損ねる。アマレク人の王を助け、家畜は兵士たちが略奪してしまう。この結果、神は怒り、サウルと息子たちは悲惨な最期を遂げる。
ちょっと前に、「 どうして人を殺してはいけないのか 」 と子供に聞かれたらどう答えるかが話題になった。だが、旧約聖書には、「 人を殺さないことが罪になる場合もある 」、と書いてある。
「 人を殺してはいけない 」 というのはあくまでも 「 日常原則 」 であり、その外側、いや、それ以前に 「 もうひとつの原則 」 がある。ユダヤ人や、旧約聖書の教えを重視するプロテスタントの人々 ( 主にアメリカ人 ) は、このことをよく知っている。
モーセの律法より。
「 レプラ患者や伝染病を持つ者は町から追放 」。「 不浄中の女と寝ること、獣姦、男色は禁止。これらを犯せば死刑 」。「 女を証人にしてはならない 」。「 自由人は、女奴隷や娼婦と結婚できない 」。「 処女だと偽って婚約した娘は、石打ちの刑 」。「 両親に逆らった若者は、石打ちの刑 」。「 去勢された男子は追放 」。「 カナン人には無差別の虐殺あるのみ 」。
これらの教えは、今のイスラエルではほとんど守られていない。イスラエル人が神の加護ではなく軍事力に頼るのも、仕方のないことなのにゃ。
きわめて現代的な意味を含んでいると思われる、神と預言者サムエルの言葉の数々。
「 不正を加えられた者が過度の寛容を示すことほど不敬虔を助長するものはない 」。
「 神が喜ばれるのは犠牲ではなく、善良で廉直な人びとである。すなわち、神の意志と命令にどこまでも聞きしたがい、神の命令にしたがった行動以外には何ひとつ正しいものはない、と考える者たちである 」。
「 神がその人物について下された判断を変えられることはない 」。
「 ユダヤ古代誌 」 と 「 プルターク英雄伝 」 ( 岩波文庫 ) が絶版中なのは、なぜだろう。神や人間についての記述が、あまりにも露骨だから、か。
モーセが、ある儀式を行っていた時のこと。祭壇の上の犠牲獣の中から突然火が起こり、たまたまそこにいた大祭司アロン ( モーセの兄 ) の息子のうちの二人が焼け死んだ。
これは果たして、神が起こしたことだったのか。ヨセフスはこれ以上は何も書いていない。あるいは・・・・・・。「 人身供犠 」 を遠回しな表現で書いているのか。
砂漠をさまよううちに、ユダヤ人の中からモーセに対立する勢力がしばしば出てくる。そんな時、モーセは神に祈り、敵を始末してもらう。「 大地が割れて人びとを飲みこんだ 」 とか、「 火焔が上から吹きつけて人びとを焼いた 」 とか。
実際には反対勢力を生き埋めにしたり、火あぶりにしたりして殺したのを、神のわざだと書いているのではないか。
何しろ、昔の話だ。よくわからんのにゃ。
著者のヨセフスは、ローマに降ったユダヤの指揮官だったが、それ以前にユダヤ人は、セレウコス朝シリアの支配を受けていた。なので、この本は単にギリシャ語で書かれているだけでなく、ギリシャ文化からの影響も見て取れる。
モーセは神に祈って言う。「 彼ら ( モーセの政敵 ) が尋常ではない仕方で生を断つようにして下さい。・・・・・・それはあなたの力を万人に顕示するとともに、あなたにたいして冒涜的な考えをいだく輩はいずれもこうした運命に苦しむのだという恐怖によって人びとの中庸や穏健への教訓にもなります 」。
この場合の 「 中庸 」 とは、いったいどういう意味なのか、ワシにはわからない。神に対する絶対服従を前提とする 「 中庸 」、とは? アリストテレスの権威を借りたいだけなのか。
神に見捨てられたサウルは、自分の運命を知るために、女腹話術師に預言者サムエルの霊を呼び出してもらう。サムエルの霊はハーデース ( 冥界 ) から上って来て、サウルに告げる。「 おまえは息子たちとともに明日の戦闘で斃れ、わたしのもとに来るのだ 」。
「 ハーデース 」 とは、何か。ギリシャ人が信じる 「 ハーデース 」 をそのまんまここに持って来たのか。それとも、ユダヤ人が信じる 「 冥界 」 を、ギリシャ語に訳したものなのか。
ヴェーバーによると、ユダヤ人には来世がどんなものなのかという観念が欠けていたというが ( 「 古代ユダヤ教 」 )、果たしてどうだったのだろうか。
モーセ以前と以後の違い。血統主義かどうか。
モーセ以前は、ノアの息子セムからヨセフに至る直系の血統が主役だ。「 神聖さとは、自分の体内を流れる血のこと 」 だったというロバートソン・スミスの説 ( 「 セム族の宗教 」) の通りにゃ。
これが、モーセになると、変わってくる。モーセは貴族の子孫とされているが、先祖がだれなのかはあいまいだ。次のヨシュアもそう。血統ではなく、神に選ばれた人間なのかどうかが重視される。イスラエルの初代の王サウルなどは、くじ引きで王に選ばれている。
モーセは、政治的・軍事的指導者、祭司、預言者の三役を兼ねていたが、これらは時代が下るにつれて分離していき、祭司だけが世襲制になるのにゃ。
エジプトを脱出し、カナンを目指すユダヤ人に、神はモーセを通じて命じる。「 敵を打ち破った後は、一人たりとも生かしておいてはならぬ。彼らを生かしておけば、おまえたちは彼らの悪習に染まり、父祖伝来の統治の原理を退廃させる。・・・・・・またわたしは、彼らの祭壇や聖なる森や神殿等をすべて破壊し尽くし、彼らの種族やその記憶を火で消滅させるよう勧告する。おまえたちの幸福は、こうしてはじめて安全で確実なものになるからだ 」。
( ナチスのユダヤ人虐殺は、旧約聖書のパロディだったのだろうか? )
ユダヤ人は神の命令に従い、カナン人を女や乳飲み子も含めて抹殺しようとするのだが、どうしても完璧にやり遂げることができない。そうして、神の怒りを買うことになる。
古代のユダヤ人の残虐さを非難するのは簡単なことだ。だが、古代のゲルマン人やケルト人はどうだったのか。歴史記述が残っていないだけで、実際は世界中の民族が同じような虐殺に明け暮れていたのではないだろうか。
この本が、ローマ人のために書かれたものだということも忘れてはならない。ローマ人は本の内容を受け入れてくれる、とヨセフスは考えていたに違いないのだ。
を読む。フラウィウス・ヨセフス著。ちくま学芸文庫。
ローマに降ったユダヤの指揮官がギリシャ語で書いた、歴史記述。旧約聖書のダイジェスト版的な内容で、すらすら読めるのがいい。いろいろと、気になる点があるが・・・・・・。
まず、「 神のキャラ 」 が途中で変わってしまう。最初に出てきて人間を創造する神は、かなりいい加減だ。大洪水で人類を滅ぼした後、彼はノアに向かってこう言い訳する。「 もしわたしが、一度つくった人間を後で抹殺してしまう意図をはじめからもっていればこれほど馬鹿げた話はなく、わたしは人間に生を与えはしなかったであろう。・・・・・・彼らの横柄な態度のために余儀なくこの厳しい罰を科したのである 」。
また、この神は人間の策略に引っかかってしまう。兄のエサウになりすましたヤコブに、将来に渡る繁栄を約束してしまうのだ。
「 全知全能 」 という言葉からは、ほど遠い。
これが、モーセの登場とともに一変する。神はシナイ山に住んでいて、ユダヤ人に律法を与え、ユダヤ人の同盟者として繁栄を約束する。そして、「 摂理 」 という言葉がクローズアップされるようになる。モーセは神に祈ってこう言う。「 神よ、どうかもう一度明白に示して下さい。すべてはあなたの摂理によるのであり、偶然や僥倖によって起こるものはこの世に何ひとつなく、あなたの意志だけがすべてを支配してその目的を遂げさせるのだということを 」。
ヨセフスは最初に、これはモーセの言葉だと書いているが、「 創世記 」 の作者と 「 出エジプト記 」 の作者は、 どうやら別人らしい。
「 リペイント・ザ・メモリー 」 って、「 ローゼンメイデン 」 っぽいのにゃ。
「 夢の回廊 」 は 「 Nのフィールド 」 みたいだし、双子のキャラが出てくる。それに、森永理科にゃんこ、沢城みゆきたま、田中理恵たま、といった声優陣。
第4期が見たくなってきたにゃう。
グラブル漬けだったにゃんこ。
期間限定イベントの 「 リペイント・ザ・メモリー 」 に森永理科にゃんこが出ていたのにゃ。1週間でレベル30くらいまで行ったんだが、結局第4話まで進めなかったにゃ。相手が強過ぎて、にわかには敵わないのにゃ。
でも、モルフェを正式メンバーにできたのにゃ。好きな時に理科にゃんこの声が聴けるにゃう。