読み終えたのにゃ(二廻り目)。
たまに、「文明の衝突」という問題に絡める形でこの本が紹介されたりするが、それは間違いだ。シュペングラーは、それについて述べるどころか、故意に避けているふしがある。
アレクサンドロス大王の東征を「挿話」の二文字でかたづけていることは、前に書いた。さらにアステカ帝国の滅亡については、驚いたことにシュペングラーは、「(スペインの)冒険家による個人的事件」と書いている。
なぜ、こうなるのか。シュペングラーは、平和主義者だったのか。違う。彼は主張している。「政治とは、手段を変えた戦争である」。「民族間の自然的な関係は、戦争である」。「世界平和とは、少数の統治下における全人類の奴隷状態のことである」。
おそらく彼は、「文化は約1300年ほどで寿命を終え(精神的な発達が終わった、文化の末期の姿が文明)、自然消滅する」、という自分の理論にこだわったのだろう。だから本のタイトルも、「西洋の滅亡」ではなく「没落」になる。ある文化が1300年もたずに滅びる、などということがあってはならないのだ。
シュペングラーは、「自分がやっているのは体系学ではなく形態学だ」、と言う。だが、本当にそうなら、「アレクサンドロス大王の生」について語ることもできたはずだ。
実は彼自身、体系学者なのではないか。彼は進化論や唯物論を批判して、「成るものと成ったもの(事実と理論)を混同している」と言うが、そのことは彼自身にも当てはまるのではないか。
「西洋の没落」と同様誤解されているのが、ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」だ。ドイツ人の書いた本だから、プロテスタンティズムと資本主義の両方を賛美しているのだろうと思われがちだし、実際にそういう紹介のしかたをする学者もいる。だが、これも大間違い。ヴェーバーによれば、死後の「永遠のいのち」を求めるプロテスタンティズムは、「実は非合理的なもの」だし、ひたすら利益の拡大を目指すだけの現代の資本主義は、「鉄の檻」なのだという。
まあ、おヒマなら確認してみてにゃ。