神戸岩にゃ。高さ100メートルの、大絶壁にゃ。この日(5月18日)は、藤の花がマン開だったにゃ。前は五日市駅からバスで来たけど、自転車だからタダにゃ。
檜原村役場を通過してから約20分。都民の森に行くより、ずっと楽にゃ。フロント・インナーを使うのは、最後の1キロだけ。年を取ったら、ここに通おうかにゃ。
ロバートソン・スミスは、さまざまな供犠の原型として、古代アラビアのラクダの供犠を挙げている。生きたラクダを石の壇の上に縛りつけて、剣で細切れにしていく。そして、氏族全員で肉、内臓、骨を生のままひとつ残らず食い尽くす。血は壇の上に流して、神に捧げる。
「ヘイムスクリングラ」に出てくる北欧の供犠を思い出す。キリスト教に改宗する前のゲルマン人も、ウプサラの神殿の壁や床に、殺した犠牲の血を塗りたくっていた。
古代人が血を捧げた神とは、何だったのか。スミスは、アラビアの伝説に出てくる「ジン(鬼神)」に注目する。それは獣の姿をしていて、無力な人間を取り巻く自然の猛威の象徴だった。やがて人間たちは、彼らの中から自分たちの味方になってくれるものを選び出し、自分たちとの間に「血縁関係」を設定し、「神」と呼ぶようになる。さらに時が経つにつれて、「神」は人間の姿に変化する。これと同時に、「神聖なもの」と「穢れたもの」の分化も生じた、という。それらはもともとは「非日常的な恐るべきもの」だったが、「神」になりそこねた「獣」は、「穢れたもの」とされるようになってしまったのだ。
「古代人は人間と獣を一体のものと見ていた」とする主張は、レヴィ・ブリュルの「融即の法則」を連想させる。また、「神聖なものと穢れたものは、もともとはひとつのものだった」という主張は、エミール・デュルケムが「宗教生活の原初形態」の中で引用している。まさに、名著だ。だが・・・・・・。
納得できない部分もある。スミスは、「古代人が崇拝した『聖なる石』は、性器を意味していない。丸い石が男神を表していたり、長い石が女神を表していたりする例もある。石は人々が集合する目印だった」、というが、本当にそうか? 部族によって、性器の大きさ、カタチは違うだろうし、男性器は大きさがその時によって変化するものだ。丸い石が男性器を意味していても、別におかしくはないにゃ。
ロバートソン・スミスは、「供犠」を重視する。羊、牛・・・等を犠牲として神に捧げ、さらにその肉を、氏族全員で食べる。食事を共にすることによって、神と氏族、そして氏族のメンバー全体の結びつき(まさに絆)が更新・強化される、という。
これと似た話が、ギリシア神話にもある。ハーデースによって冥界にさらわれたペルセポネは、そこで出された食物に口をつけてしまった。だから彼女は、地上に帰れなくなった(あるいは、半年しか帰れなくなった)。食事を共にしたことで、冥界の一員になってしまったのだ。
スミスによれば、古代においては神もまた氏族のメンバーであり、人間たちと血縁関係にある、と考えられていた。「神聖さ」とは氏族全員の体内に流れる「血」のことであり、神が崇拝されるのは、自分たちと同じ血が流れているからだった。これは、今のキリスト教やイスラム教から見ればとんでもない考え方だが(人間は被造物に過ぎないから)、細かく見ていけばこれらの宗教の中にもこの時代の名残りを確認することができる、という。
を読む。ロバートソン・スミス著。岩波文庫。
キリスト教とイスラム教は革命的な宗教だったが、それだけではなかった。それまでの古代宗教との共通点もあったから、多くの人々に受け入れられたのだ、という。
「儀典は神話に先行する」。神話は後からつけ加えられた説明で、時代が下るにつれてどんどん変化していく。それに比べると儀典の変化は、小さい。古代からの姿を留めている。古代宗教の研究は儀典を中心とすべきだ、という。
写真は、本にはさまっていた切符。いつのか知らんが、この時以来、だれもこの本を開いていなかったのにゃ。