「ヘイムスクリングラ」を読み終える

2012-02-27 17:04:30 | 

スノッリ・ストゥルルソン著。プレスポート・北欧文化通信社。

 全編、殺人やら放火やら掠奪やら拷問やらの繰り返し。「時計じかけのオレンジ」のアレックスが読んだら、狂喜するだろう。

 ただ、大きなミスがひとつある。第4巻210ページの「ヘイスティングスの戦い」に関する訳注は、本来、148ページに挿入すべきだろう。全然関係のないところに出てきたので、びっくりしたにょ。

 スウェーデンやノルウェーといえば、「平和国家」のイメージが強いが、この本の時代は正反対だった。いや、この時代にあらゆる暴力をやり尽くしたからこそ、今があるのかもしれないにゃ。
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「奴婢訓」余波

2012-02-24 18:50:26 | アニメ・ゲーム

 というわけで、マカの声が聴きたくなって、「ソウルイーター」のブルーレイBOXを購入。たまには、演劇にも経済効果があることをアピールしておかないとにゃ。

 その小見川千明が、公式ホームページで「奴婢訓」について語っているのだが、演劇ファンなら読んでおきたい内容を含んでいる。J・A・シーザーの演劇論の一端に触れているのだ。寺山修司の演劇論は本になって残っているが、シーザーのはまだない。これは、貴重な証言だ。

 彼女が出演する5月の「J・A・シーザー コンサート」についてもちらっと触れている。おそらくアニソンを歌うのだろう。シーザーの作曲で、息が続くか不安になるやつといえば・・・・・・。「少女革命ウテナ」のファンならだれでも知っている、あの曲しかないだろう。
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クランクを

2012-02-23 18:42:53 | 自転車

アルテグラ52×39からデュラエース53×39にチェンジにゃ。これで、フル・デュラエースになったにょ。

 フロント・インナーでヒル・クライムを終えた後、フロント・アウターに戻して、下る。その時の感覚が、違う。デュラエースのクランクだと、「カチャッ」と一瞬で戻る。それだけのための、出費にゃ。

 53×39で、いつまでヒル・クライムができるだろう? でも、体力が下降線をたどっていけば、50×34にしたところで、何年ももたない。どっちみち、平地のサイクリング・ロードを走ることになるんだろうにゃ。
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冬の間に

2012-02-22 18:38:08 | 自転車

スコット・アディクトR3をチューンアップにゃ。どこが変わったかわかるかにゃ?
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「奴婢訓」その2

2012-02-19 19:34:50 | 演劇

 楽日。当日券で、また観た。かつてヨーロッパの演劇界を席巻した「奴婢訓」。そして、「ソウルイーター」の小見川千明。この2つのクール・ジャパンの、時を超えた出会い。これは、なかなかレアだ。

 小見川は、初日よりもせりふにゆとりがあった。その分だけ、彼女にしかない声質が生きてくる。声そのものが、ひとつの「快楽機械」として機能する。彼女の声は、スタジオの中だけのものではなかった。
 「萌え」と「アングラ表現」の融合。これは、かなり前から月蝕歌劇団がやってきたことだし、寺山修司にも「青ひげ公の城」という作品があるが、「奴婢訓」で実現したのはなかなか意義深いことではないだろうか。寺山演劇の懐の深さを見せつけられたような気がする。「異物」が、「異物」だからこそ、強烈な輝きを放つのだ。
 小見川千明が自分からオーディションに参加しなければ、「2012年版奴婢訓」のこの形は、なかった。「偶然の組織化」という寺山の言葉は、今も生きている。

 また観た理由は、他にもある。今度はいつ、どんな形で上演されるのか、と考えてしまったのだ。次もシーザーは、歌ってくれるのだろうか。だが、どんな形であれ、きっとまた観ることになるだろう。・・・・・・いや、その前に、5月の「J・A・シーザー コンサート」だにゃ。


 ※そうそう、オープニングのナレーションは、やはり小見川千明だった(録音だけど)。ステージの上にさらに仮設の舞台が組まれているのだが、ナレーションの間、本人がその1番高い階(高さ6メートルくらい)に座って、足をぶらぶらさせている、という演出だった。高所恐怖症のワシにはとてもマネできないにゃ。

 
 
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シアタートラムで

2012-02-12 22:04:55 | 演劇

演劇実験室◎万有引力の「奴婢訓」を観る。寺山修司作、J・A・シーザー演出・音楽。

 初日。立見も出る盛況。この作品を観るのは3回目だが、今までで一番小さい劇場。なので、迫力が違った。
 今回は蘭妖子さんが不参加。彼女がソロで歌っていた曲は、合唱に。でも、これはこれで、悪くない。
 舞台上手の奥の方なのでよく見えなかったが、最後のシーザーの生歌は今までどおり。これは、代わりがきかない。

 小見川千明は、顔は白塗りだったけど、声で彼女だとすぐわかった。アニメのまんまだけど、違和感はなかった。そこがアングラ演劇の不思議なところだ。さすがに彼女の「大滅亡」はなかったが、「マッチ擦り」でフィーチャーされていた。やはり、彼女の声を活かす演出がなされていたみたい。そうそう、オープニングのナレーションも彼女かも。自信ないけど。

 次回公演の予告チラシによると、小見川千明は5月の「J・A・シーザー コンサート」、7月の万有引力「怪人フー・マンチュー」にも出演予定になっている。・・・・・・こんなにアングラ属性の強い人だっけ? ちょっと、彼女に対する認識を改めなければいけないかも。

 写真は、「J・A・シーザー コンサート」のチケット。ロビーで先行販売してた。劇を観なくても買える・・・・・・いや、観て、買うのにゃ!

 
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IGGY AND THE STOOGESの

2012-02-10 18:44:40 | 音楽

「RAW POWER LEGACY EDITION」を聴く。

 今さらながら。ワシの目当てはもちろんライヴ盤の方。「METALLIC K.O.」よりも音質がいい。それだけで、十分にゃ。
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「ヘイムスクリングラ」 その5

2012-02-06 18:56:27 | 

 ノルウェーのキリスト教化を徹底的な暴力によって果たした、オーラヴ・ハラルズソン王。国民に憎まれ、死んだ後になってから「聖王」と呼ばれるようになったのも、仕方のないことだ。
 遺された彼の髪や爪は伸び続け、それらが納められた櫃に触った盲人の目が、見えるようになった・・・・・・等さまざまな奇跡が起こった。

 暴力と奇跡。宗教を人に受け入れさせるには、これだろう。教理を学んで信じるようになった・・・・・・というだけでは、弱い。それでは、小説を読んで好きになるのと何ら変わらない。後でもっとおもしろい小説を読めば、前に読んだ小説のことなど、人はすっかり忘れてしまう。

 暴力と奇跡。現代では、積極的に肯定しにくい。だから、宗教も。
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「ヘイムスクリングラ」 その4

2012-02-05 17:19:39 | 

 この作品の大部分は、戦いの描写で占められている。「強い者が弱い者に勝つ」という事実。それこそが、正義になっている。
 おもしろいのは、戦いに勝った方が、敗者の命をしばしば助けるところだ(エイリーク侯とヨームスヴァイキングのエピソード)。力を認めた相手には相応の配慮をする。それだけ「力への信仰」が強いのだ。

 敗戦後の日本がすぐにアメリカと同盟を結んだのも、これに近い心理からかもしれない。当時の人々は、力を崇拝していた。だから、アメリカの力が自分たちよりも勝っていることが実証された途端に、アメリカになびいたのだ。
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「ヘイムスクリングラ」 その3

2012-02-04 20:12:32 | 

 北欧といえば、ヴァイキング。だが、北欧人すべてがヴァイキングだったわけではない。もちろん、農民もいた。「作る人」がいてこその、「奪う人」だ。
 ヴァイキングとは、何者だったのか。主に、外国に出かけられるくらい裕福な、領主や豪農の息子たち。時には、国王までもが参加した。だが、ふつうの農民がヴァイキング(掠奪行)に駆り出されることもあった(オークニー諸島の農民たちの例)。両者の境界線はあいまいで、流動的なものだった。狩猟民と農耕民の区別など、できるものではない。

 そもそも北欧の農民は、ヴァイキングよりも恐ろしい存在だった。古代においては、何年も不作が続くと彼らは怒り狂い、よってたかって容赦なく国王を殺し、豊作祈願の犠牲として神々に捧げる、などということをしばしば行った。時代がかなり下ってからも、国王が自分たちの権益を侵害すると、武器を取って集まり、戦った。ノルウェーのオーラヴ聖王も、農民軍の手にかかって死んだのだった。

 「狩猟民は獰猛で、農耕民は温厚」、という俗説は完全な誤りだということがわかる。農民は、豊作のためには手段を選ばない。フレイザーの「金枝篇」にも、世界各地の農耕民が行った、数々の人身供犠(人間の生け贄)の例が収録されている。
 ていうか、大規模な戦争は、農業とともに始まったのではないか。農業に適した土地には限りがあるのだから、当然奪い合いになってしまう。

 ・・・・・・などと、あちこちに思いは飛んで行くのにゃ。
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「ヘイムスクリングラ」 その2

2012-02-03 17:35:44 | 

 北欧の人々は、いかにしてキリスト教を受け入れたか。それが読みどころのひとつになっている。

 ノルウェーでは、国王の強制によってそれがなされた。それまでの北欧の神々への信仰を捨てない人々には、容赦のない措置がとられた。さまざまな拷問、処刑、だまし討ち。極めてヴァイキング的なやり方で、キリスト教への改宗は行われた。「宗教者や哲学者は、生活についての考え方を変えたが、生活そのものを変えたことはいまだかつてない」。シュペングラーのこの言葉の、いい例だ。

 また、キリスト教の時代になってからも、従来の「魔法」が幅をきかせていたことがわかる。デンマーク王には魔法使いの部下がいたし、キリスト教の司祭と魔法使いの「術くらべ」の記述もある。
 「キリスト教によって、それまでの呪術・魔術は克服された」、という説があるが、かなり怪しいのではないか。キリスト教の異端審問や魔女狩りで有罪とされた者は、火あぶりの刑に処せられたが、そもそもこの火あぶりの刑は、何に由来するのか。「古代宗教の人身供犠のやり方が、キリスト教の中にそのまま残った」。そんな気がしてならない。
 古代に生け贄にされて死んだ人よりも、異端審問や魔女狩りで死んだ人の方が、けた違いに多いはずだ。両者の優劣をつけるのは、難しい。
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「ヘイムスクリングラ」

2012-02-02 18:29:02 | 

を読む。スノッリ・ストゥルルソン著。プレスポート・北欧文化通信社。(写真は、ちょっと前に撮った多摩動物公園のユキヒョウの赤ちゃん)

 ヘロドトスの「歴史」。トゥーキュディデースの「戦史」。そして、「プルターク英雄伝」。ギリシア・ローマの古典はひと通り読んだから、今度はゲルマンの古典を、と思ったが・・・・・・。オラウス・マグヌスの「北方民族文化誌」、トゥールのグレゴリウスの「フランク史10巻の歴史」、サクソ・グラマティクスの「デンマーク人の事績」・・・・・・といった作品は、どれも現在入手困難になっていて、かろうじて本書を購入できた。

 内容は、北欧版「三国志」といったところ。ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの血で血を洗う戦いの歴史が記述されているのにゃ。
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