旧約聖書と新約聖書の関係。
イエスと弟子たちは、自分たちの発言を権威づけるために、しばしば旧約聖書からの引用を行っている。ワシが持っている聖書の巻末には、旧約の引用元の一覧が載っているほどにゃ。たとえば・・・。
「あなたは自分を神としている」と非難するユダヤ人たちに対して、イエスは言う。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている」(ヨハネによる福音書10、34~35)。
これは、詩篇82、6からの引用だという。だが、オリジナルはこうなっている。「わたしは言った『あなたたちは神々なのか 皆、いと高き方の子らなのか』と。しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する」。つまりこの箇所は本来、「あなたたちは神々ではない」と言っているのだ。
意味が、オリジナルとは正反対になっている。とんでもない引用のしかただ。だが・・・。
それでもこれは、イエスの言葉なのだ。オリジナルとは無関係に、尊重されるべきではないか。たとえばルカによる福音書14、23「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ(入るように強制せよ)」。これが、ヨーロッパ人による世界支配の理論的根拠になったという。こんな曖昧な言葉がそれほどの力を持つなら、「あなたたちは神々である」という言葉も、単なるたとえとして軽視すべきではない。「神の言葉を受けた人たち」、つまり、神の言葉を聴いたノア、アブラハム、サラ、ハガル、ロト、ヤコブ、モーセ、サムエル、ソロモン、エリヤ、マリア、パウロ・・・はみな、(聖人どころか)神々なのだろう。
キリスト教は一神教ではなく、多神教だったのにゃ。