井の中の蛙

2005-05-31 18:54:42 | 演劇

大海を知らず、っていうけれど・・・。

 私はむしろ、大海の魚、井の中を知らず、と言いたい。世の中には、マス・メディアが取り上げないたくさんの小世界があって、それらは直接体験する以外に知るすべがない。
 
 5月は、私が月蝕歌劇団を知って5年、という月でした。
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アリバイ

2005-05-29 18:34:34 | Weblog
 あの時
 パリにいなかったと
 証明するために
 その時
 モスクワにいたと
 証明する

 不在の証明は
 存在の証明

 存在の証明は
 不在の証明

 あなたのそばに
 いたいので
 ぼくは
 消えてみるつもりです
 
 
 
 
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生かされている

2005-05-27 18:44:54 | Weblog
 一体、誰に?

 明日には、また別の事故に巻き込まれるかもしれない。それでもそんなことを言うのは、傲慢、ていうもんじゃないかな。

 言えるのは、とりあえず今は生きている、ということだけなんじゃないかな。
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寺山修司5

2005-05-25 20:17:36 | 演劇

 前にこのブログで、ある演劇評論家が寺山の「戯曲論」を引用した上で、寺山作品は再演されるべきではないと言っていることを紹介したが(「寺山修司」)、最近、「寺山修司の戯曲9」(思潮社)に収録されているその「戯曲論」を直接読むことができた。

 その結果わかったのだが、この評論家は明らかに読み間違いをしている。確かに寺山は、「一度、『戯曲』として書き、きちんと幕を切ってしまったものを、どうしてもう一度、生身の人間を使って現場検証してみようとするのか」、と書いている。だが、この文章の前に彼は、アラバールの戯曲を読んで抱腹絶倒したが、数年後に劇を観たらただなつかしいだけだった、という経験を例として挙げているのだ。つまり、この場合の「幕を切る」というのは、実際に劇が上演されるということではなく、それ以前に戯曲を読んだ人間の頭の中で劇が展開されることを意味している。要するに寺山は、戯曲を読んで想像していたのと実際の劇が同じならば、再演どころか、そもそもその戯曲は上演される意味がない、と言っているのだ。

 同じ戯曲論の中で、寺山はこうも書いている。「・・・台本(あるいはテキスト)がまったく不要だということではない。私はハプニングを目ざしているのでもなければ、偶然性だけで演劇が成り立つと考えているわけでもないからである。たとえば、モダン・ジャズにおけるコードネームのような集団共有の約束事がなければ、演劇は出会いを『組織する』ことは、むつかしくなる。その約束事、つまり相互創造の機会を生成するためのキーワード、コードネーム、暗号、図譜などの類を、私はとりあえずテキスト、台本と呼ぶわけだが、それが『戯曲』とはまったくべつのものであるということを言いたいのである。」
 寺山台本は、読むだけで完結するフツーの戯曲とは違い、上演のたびに新しい出会いを生み出すことを目ざしていた。天井桟敷が同じ作品をしばしば繰り返し上演したことも、これで説明がつく。

 寺山修司が、少なくとも自分の作品に関しては、再演を否定しているわけではないのは明白だ。興味のある人は、この本か、あるいは「迷路と死海ーわが演劇」(白水社)を探してみて下さい。本屋よりも大きな図書館の方が見つかりやすいかも。

 
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月蝕歌劇団

2005-05-23 10:57:38 | 演劇

の「金色夜叉の逆襲」を観る。

 小説の中の物語と現実の話が同時進行し、やがて交差してクライマックスを迎える、という、高取英得意のスタイル。今回は、小説の読み手、つまり、劇の観客を巻き込む形で終わったのが印象的。
 
 次回は8月の「白夜月蝕」だそうだが、会場が劇団員の大島さんが店長をやっているバー。どんなお店なのか、今から楽しみ。
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天狗ショー

2005-05-20 19:27:08 | 下ネタ

を見せてやる、と言われて、うっかりついていったことがあります。

 そしたらそれは、天狗のお面をかぶったおじさんが延々とマジック・ショーを繰り広げる、というものでした。

 はるか昔の、若かりし頃の思い出です。
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天狗

2005-05-18 20:59:43 | 

で飲む。

 泡盛(あわもり)の「御物城(おものぐすく)」が私のお気に入り。まずグラスに氷を5、6個入れ、その状態でグラス半分くらいまで酒を注ぎ、あとは炭酸水で割る。味がまろやかで、ほんのり甘味があって、口当たりがさわやか。酒が飲めない人も、グラスの底にちょっぴり注いで、炭酸水を多めにすれば、問題ないと思う。

 ひとくちに天狗と言ってもレストランと居酒屋の2種類あって、レストランの方には泡盛はないので要注意。
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寺山修司4

2005-05-16 21:24:12 | 

 今年は生誕70年。というわけで、最近、彼の本が次々に刊行されている。その中から、「幸福論」と「さかさま世界史 英雄伝」(両方とも角川文庫)を買ったんだけど・・・。

 読んで驚いたのは、「ミス・トルコ」が「ソープ嬢」に改められていること。時代の流れと言ってしまえばそれまでだけど、なんかヘン。この調子でどんどん当たり障りのない方に表現が書き換えられていくとしたら、天井桟敷の初期の作品なんかはどうなるんだろう。例えば、「千一夜物語新宿版」には、トルコ風呂に突入する、新宿のロレンス、というキャラが登場するけれど、処理できるのかな?それ以前に、戯曲を読む機会がなくなっちゃうか。
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奴婢訓

2005-05-14 20:11:16 | 演劇

を観る。

  おととし観た時と比べると、笑いの要素が濃くなった感じ。根本さんの役を井内さんが引き継いだせいかな。
 シーザーさんの生歌は、何度聴いてもよいのだ。天井桟敷時代のCDと同じ、若々しい声なのだ。今回はパーカッションだけでなく、ベースもプレイしていたなあ。

  例の、「~してはいけない」という場面で、万有引力の人にからまれちゃったよう。どうせ私はド近眼だいっ。
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がんばれっ、TBSっ!!

2005-05-12 19:14:17 | Weblog
 前回の書き込みの件ですが、後で見てみたら、ほとんど原文どおりに載っていました。あれでOKとは・・・・・。何を考えているんだろう、TBSは?
 
 でも、ありがたいのだ。何があっても、私はTBSを応援することを誓うのだ。ローゼンメイデンの名にかけて。

 それにしても、現場の仕事から本社勤務になって、コラムのネタがなくなった、という部長サンの話は、身につまされますな。このブログも、いつそうなるか・・・・・。
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ローゼンメイデン

2005-05-10 20:35:36 | アニメ・ゲーム

の公式HPのBBSに書き込みをしたんだけど、どうやらボツになったらしい。仕方ないので、ここにもう一度書いてみる。

 ・・・第二期のキャストはまだ決まっていないそうですね。あえて提案しますが、真紅役に大山のぶ代さん、というのはどうでしょう?外見は少女でも、作られたのは遠い昔のこと。精神年齢を考えると、大山さんでも全く無理はないと思います。
 
 また、引きこもりのジュンを立ち直らせるには、理想だけでなく、大人の知恵も必要です。海千山千の熟女キャラが求められているのではないでしょうか。

 さらに、数百年も続いているアリス・ゲームを勝ち抜くには、単純な強さだけでは不十分です。戦う前から相手に、「こいつとは戦いたくない」、と思わせるような押しの強さがなければいけません。今の声優の中では、やはり大山さんが最適任だと思います。

 別に、真紅がいろいろな道具を出したりする必要はありません。キャラが微妙に変わるだけで、より完璧な作品に近づくことができる、と言いたいのです。
 
 これがもし実現したら、週刊誌やスポーツ紙を巻き込んでの大騒ぎになるでしょうね。フフッ、楽しみ。
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ジミ・ヘンドリックス

2005-05-08 11:49:53 | 音楽

の「ロイヤル・アルバート・ホール69」を聴く。

 これは凄い。この69年2月24日のライヴは、過去にも何度かCD化されているのだが、音質が致命的に悪かった。ブートレッグにももっとましなやつはある、という程度の代物だった。だが、この日演奏された「ストーン・フリー」が高音質で「炎のライヴ」というアルバムに収録されており、それを聴いた私は、モンタレーでの「ワイルド・シング」、ウッドストックでの「アメリカ国歌」に並ぶ、彼の3大名演の1つと言っていいのではないか、このステージ全体を完璧なコンディションで聴いてみたい、と思っていた。その夢がかなったわけだが、期待以上の出来だ。

 まず、本番前のサウンド・チェックから3曲が収録されているのだが、すでに、凄い。観客がいない状態で、どうしてこれほど創造性に富んだフレーズを次々に生み出すことができるのか。ましてや、ライヴ本番は・・・・・。彼のギター・プレイを形容するのに、「空間にギターを使ってさまざまな色の絵の具をぶちまけているような」、という言葉が昔から用いられてきたが、同じ言葉を繰り返すほかない。

 夢の実現は、喜びと同時に寂しさももたらす。これであと、ジミの音源で手に入れてみたいものは、70年9月3日のコペンハーゲンでのライヴだけになってしまった。果たして、完全版が出る日は来るのだろうか?
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夜長姫と耳男

2005-05-06 12:50:53 | 演劇

を観る。

 演じるのは横浜緑ヶ丘高校の生徒さんたちで、演出を、万有引力、ク・ナウカとエリート・コースを進み、現在ルームルーデンス主宰の田辺久弥氏が担当するという、毎年恒例のエデュケーション・プログラムのひとつ。

 高校生の演劇と聞くと、なぜかキャラメル・ボックスを連想してしまうが、せりふ主体の芝居よりも、アングラ芝居の方が若者には似合うな、と観ていて思った。若さ=極端さ=アングラという公式が成立するんじゃないかな。この芝居でいうと、舞台一杯に敷き詰められたビニールひもの切れ端がさまざまに変化して登場人物の情念を表現するところとか、4人のコロスの抽象的な動きとか、目に見えないものをあえて形にしようとする試みが刺激的だった。

 あと、スタッフ・ワークの重要さも改めて認識させられた。役者は素人がやってもどうにかなる。むしろ素人の方がよく見える場合もあるかもしれない。でも、音響や照明は、やっぱりプロじゃないとね。

 考えてみると、東京近辺の高校生は恵まれている。キャラメル・ボックスだけでなく、生の唐十郎や、J・A・シーザーの音楽や、毛皮族のレビューを観たり聴いたりできるではないか。そうだ、毛皮族の江本さんがエデュケーション・プログラムをやればいい!きっと、大センセーションを引き起こすだろうな。

 この企画はずっと続いてほしいが、田辺氏はなかなかの男前なので、くれぐれも女子高生と間違いを起こさないようにして頂きたい。それだけが心配だ。
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ラグナロク

2005-05-04 04:54:44 | アニメ・ゲーム

の1デイ・チケットが届く。

 らぐジェネで私の投稿が採用された記念品なんだけど、植田佳奈様、森永理科様のサイン入りで、とてもとても、実際に使うことはできないのだった。女神様のいじわるっ!!ちなみに上が森永様で、下が植田様です。わかるかな。
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動物電気

2005-05-02 05:33:12 | 演劇

の「寝太郎の新作カレー」を観る。

 初の本多劇場。でも、やることはいつも通りだった。ベタベタなギャグ(今回はジャンプ・ネタが多かった)とプロレス技、そしてクライマックスの「小林ショー」。その場限りの笑いかもしれないが、何回でも「その場」に居合わせたくなっちゃうんだな。
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