咲ーSakiーフェス

2012-10-29 17:59:22 | アニメ・ゲーム

を見る。

 新旧の声優が勢揃い。ワシはどちらかというと、第1期のアラサーの人たちの方が好きだにゃ。今の二十歳前後の声優は、無機的な感じがする。「自分の表現」よりも、「ネットで叩かれないこと」を重視しているように見える。それは本人が悪いのではなく、顧客であるアニメ・オタクのせいなのだが。彼らは、歌舞伎ファンのように、保守的だ。ひとつの型に固執していて、そこからはみ出すような表現を「棒読みだ」、などと酷評する。
 どうして宮崎アニメには、自分たちがふだん馴染んでいる声優が出てこないのか。それをアニメ・オタクの人たちは、よく考えるべきだ。

 だが、この日の悠木碧は、なかなかよかった。歌は調子っぱずれだが、振りには本物の熱さがあった。キャラという枠を超えて、場を自分のカラーに染めようとする。そういう意志がなければ、少なくともアーティストとは呼べないだろう。
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コルナゴ対ラレー3おわり

2012-10-28 10:50:42 | 自転車

 今回のために、4週続けてヒル・クライムに励んだのにゃ。梅野木、成木、和田。その甲斐があったにゃ。

 満足して、もと来た道を下り始めると、ビックリすることが・・・・・・。峠を上り始めてすぐに、でかいリュックサックをしょってロードバイクに乗っている人を抜いたんだけど、その人がもうゴール手前まで来ていたのにゃ。だいたい45分くらいで白石峠をクリアする計算になるが、リュックがなかったら30分を切るかも。
 ワシにはとてもマネできないにゃ。大きな荷物をしょったままでは、血行が悪くなって、腰が猛烈に痛くなるにょ。完走すら難しいにゃ。たぶんワシよりも年上のオッサンだったけど、何者だろう。何かのトレーニングなのか。ちなみにバイクはアンカーのアルミ・モデルに見えたが・・・・・・。

 上には上がいるのにゃ。
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コルナゴ対ラレー2

2012-10-27 18:45:40 | 自転車

 33分26秒83。やった! 2分半以上の差をつけて、コルナゴ・マスターXライトの圧勝にゃ! 全国10万のコルナゴ・ユーザーの期待に応えたぞ!!

 スペックは、コンポが105。ホイールがフルクラムのレーシング3。タイヤがミシュランのクリリオン・カーボン700×25。クランクの歯数が52×39T。リアが11-28T。自転車の重量は約9.1キロ。

 ラレー・カールトンC/Cに勝っただけではない。このタイムは、ワシがキャノンデールCAAD9で記録したタイムから、わずか4秒遅れなのにゃ。ワシのCAAD9のスペックは、コンポが基本的にアルテグラ。ホイールがデュラエースWH7900C24TL。タイヤがパナレーサーのレース・タイプA700×23。クランクがスラム・レッドBB30で歯数が52×36T。リアが105で12-27T。重量は約7.9キロ。

 もしもホイールとタイヤ、クランクの歯数が同じだったら、CAAD9の記録も軽く破ったのではないか。恐るべし、マスターXライト。最強のスチール・フレームは、最強のアルミ・フレームに勝るのにゃ。
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コルナゴ対ラレー

2012-10-26 19:33:01 | 自転車

 懐かしのラレー・カールトンC/C。こいつのコンポ、ホイール、タイヤは今、コルナゴ・マスターXライトに移植されているのにゃ。そこで・・・・・・。

 白石峠でタイム・アタックにゃ! スチールのコルナゴは、アルミのラレーに勝てるのか。目標タイムは、ラレーで記録した36分10秒94。この2台は、フレームの値段が3倍以上違う。もし負けたら、コルナゴの面目丸つぶれだが、結果は・・・・・・。

 
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世界宗教史4

2012-10-22 19:30:14 | 

を読む。ミルチア・エリアーデ著。ちくま学芸文庫。

 「神学の開花」。「ルネサンス以降、合理主義哲学は三位一体説に反対を唱えた。しかし、三位一体神学は、日常的な体験と通常の論理の範囲からキリスト教徒を解き放つことによって、大胆な思想を鼓舞してきたことを認めなければならない」。

 三位一体。これは、ギリシア・ローマ神話にも出てくる。森の神ダイアナと月の神ルナと呪術の神へカテは、同一の神の三つの面を表している、という。

 文化が進歩するほど、神の数は増えていくらしい。最初は世界に充満する不可思議な力(マナ、とか)だったものが、どんどん具体的な姿を獲得していく。神話の二次創作、三次創作・・・・・・が続き、神話の登場人物(神)は増えていく。だが、他方で、原初的な統一性こそが至高のものだとする人もいて(プラトンとか、老子とか)、宗教はこの「統一」と「分化」の間を、常に揺れ動いている、らしい。

 時計の針が一回転して、一神教にもどったのがキリスト教か。だが、一神教といっても、かなりいい加減な一神教だ。三位一体説もそうだが、「聖母マリアは人か、神か」、という問題もある。一神教と多神教の間で、揺れ動いている。

 西洋の厳格な合理主義、科学的思考はキリスト教に基づいている、という説は、厳密にいうと間違っている。それらは、少数のエリートが、キリスト教のいい加減さに反発して生み出したものではないだろうか。

 
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世界宗教史4

2012-10-19 19:01:37 | 

を読む。ミルチア・エリアーデ著。ちくま学芸文庫。

 第29章「帝政時代の異教、キリスト教、グノーシス派」。グノーシス派の最たるものが、マニ教だという。その神話によれば、最初に神と悪魔(光と闇)の戦いがあり、光の分子が悪魔に捕らえられてしまった。悪魔は光の分子の牢獄として、人類を創造した。だから、人類が存続する限り、光の分子は解放されないことになる。人類がひとり残らず死に絶えて、初めて宇宙は救済される、という。

 鬱ムードいっぱいで、実にすがすがしい。フィリップ・K・ディックの小説(「電気羊」だったか)の主人公が、「自分はマニ教徒だ」と話すシーンがあったような気がするが、なるほど、彼の世界観と共通している。

 もうひとつ思い出すのが、カルヴァンの「予定説」。マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」によれば、「死んだあとに人が永遠のいのちを得るかどうかは予め神が決めていて、この世でどんなに努力してもその決定は変わらない」、という説なのだが、これ、かなりグノーシス的だ。グノーシス派は、人間を「霊的な存在」と「肉的な存在」に分ける。前者の霊魂は救われるが、後者は物質的な世界とともに滅びるしかない、という。
 カルヴァンの後継者が、この世での行いを重視するように方向転換したのは、異端とされる(火あぶりになる)のが怖かったからではないだろうか。

 これだけ人間というものをネガティヴに捉えているのに、マニ教は自殺を禁じている。なぜだろう。キリスト教ならわかるが。「この世にあるものはすべてよきものである。なぜなら神が創造したから」。だから自殺は、神に対する反逆になる。
 エリアーデはこの点について何も語っていないが、察するに、自殺は「肉体という牢獄」を絶対的なものにしてしまうから、ではないか。もっと身もフタもない言い方をするなら、自殺を認めてしまうとマニ教の信者がひとりもいなくなってしまうから、ではないか。
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劇場版「魔法少女まどか☆マギカ」後編

2012-10-17 17:04:00 | アニメ・ゲーム

を見る。

 ほとんどテレビ版といっしょなのにゃ。ちょっと物足りない。「ストライクウィッチーズ」みたいに絶叫上映会を開いてはどうか。どの場面だったか忘れたが、「いいぞー! 千和ーっ!!」と叫びたくなったにょ。

 ラストに新編の予告が。みんなの予想通り、「キュゥべえがまた悪さをして、まどかにとっちめられる」、という話らしいにゃ。
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アジムスの

2012-10-15 18:22:25 | 音楽

「ライト・アズ・ア・フェザー」を聴く。

 「クロスオーヴァー・イレヴン」のテーマ曲で有名なアルバムだが、単なるイージー・リスニングではない。曲によってはかなりテンションが高い。

 ベース、キーボード、ドラム、パーカッションという編成。ギターがいない分だけベースが重要になるが、実に、いい仕事をしている。必要最小限の音数で、最高のインパクトを作り出している。その他のリズム・セクションも変幻自在で、まったく飽きさせない。曲によって変化するキーボードの音色、いかにもブラジル的なスキャット・ボーカルもいい。

 フュージョンを、ちょっとなめていたかも。
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セブンネットで

2012-10-13 11:58:36 | 音楽

「夏のあらし」のキャラソンアルバム「歌声喫茶方舟」と、アジムスの「ライト・アズ・ア・フェザー」を買う。

 なんで今ごろ「夏のあらし」か。某所で、小見川千明の歌う「恋のダイヤル6700」を聴いてしまったからにゃ。歌もいいが、最初の「ハロー・ダーリン」、というせりふがいい。これだけで、3000円の価値がある。コケティッシュの極み、というべきか。女性が勝負どころでこんな声を出せば、それはもう、どんな男でもオチるだろう。着信音にして、ずっと聴いていたい声にゃ。「女は男に媚びてはダメ」、「知性が大事」、などと学校では教わるが、この声の破壊力は、どんな知性も認めざるをえないだろう。女性なら、一生に一度くらいはこんな声に挑戦すべきにゃ。
 アニメのキャラは確か男装の、恋を知らない女子中学生だから、実はキャラソンとしては崩壊している。だが、そんなことはどうでもいいのにゃ。いろんなところで試聴できるから、ぜひ体験してみろにゃ。

 アジムスは、ブラジルのフュージョン・バンド。このアルバムには、NHK FMの「クロスオーヴァー・イレヴン」のテーマ曲だった、「フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン」が入っているのにゃ。思い出深い曲にゃ。
 ワシの音楽分のほとんどは、NHK FMでできている。「朝のポップス」、「軽音楽をあなたに」、「サウンド・オブ・ポップス」、「サウンド・ストリート」、そして、「クロスオーヴァー・イレヴン」。「クロス・・・」で印象深いのは、放送時間が50分程度なのに、ピンク・フロイドの「エコーズ」をフルに流したことかな。他にもプログレ系の長い曲がよくかかったっけ。録音して、何度も聴いたもんだった。
 今はもう、ほとんどラジオ番組を聴くことはなくなった。レコード屋に入ってたまたまかかっていたCDを買うパターンが多い。それで十分満足できるのにゃ。でも、ネットでも番組を聴けるようになったから、たまには昔にもどってみようかにゃ。
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テアトロ10月号に

2012-10-12 18:14:47 | 演劇

万有引力の「怪人フー・マンチュー」の劇評が載っている。しかも2つも。滑り込みで気がついたにょ。
 林あまり氏と田之倉稔氏。特に林氏は、「今月選んだベストスリー」に挙げている。

 この本に万有が出てくるのは珍しい。2月の「奴婢訓」は確か取り上げられなかったと思う。せりふが中心ではない彼らの作品を、言葉で批評するのは困難だからか。言葉ではなく、身振りや音で応える方が、万有にはふさわしいのかもしれない。
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世界宗教史4

2012-10-11 18:44:26 | 

を読む。ミルチア・エリアーデ著。ちくま学芸文庫。

 「神秘のディオニュソス」。その密儀に参加した男性(たとえばプルタルコス)は、チンボルをあらわにしたという。「男根を見せることは宗教的な行為である」。「生殖器は、ディオニュソス自身の生殖器を意味する」。「神の生殖器は創造性の神秘を象徴するだけでなく、その現前をもあらわす」。

 この記述を読んで思い出すのは、ヘロドトスの「歴史」に出てくる古代エジプトのエピソードだ。
 つらい任務に耐えかねた兵士たちが、ナイルの上流目指して集団で脱走する。後を追ったファラオが、彼らに問いかける。「お前たちは、家族を国に残してどこへ行くのか」。兵士のひとりが、自分のチンボルをあらわにして、こう答えたそうな。「コレさえあれば、どこへ行っても家族を作れる」、と。
 ヘロドトスによくある、単なるエロ話だと思っていたが、これにはもっと深い意味があるのかもしれない。古代エジプトのファラオは、単なる王様ではなかった。神にも等しい至高の存在だった。彼に相対するには、言葉だけでは足りない。チンボルも出さなければならなかった。つまり、チンボルを出すという行為は、一種の「対抗魔術」だったのではないか。

 このエピソードは、われわれ日本人にも無縁ではない。全国の神社が厳重に保管しているご神体のほとんどは、男性器のカタチをした石(ごチン体)だという事実がある。

 「神は死んだ」のかもしれないが、どっこい、「亀は生きている」のにゃ。
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マヤ文明の

2012-10-08 20:18:06 | 

世界滅亡の予言が話題になったが、シュペングラーも「西洋の没落」の中で予言を行っている。「2300年ごろに、今の西洋文化は滅びる」、と。

 具体的な根拠は、何もない。あくまでも、彼の直観だ。なにしろ、「歴史研究とは、詩作のようなものである」、と主張するような人物だ。
 このへんが、ショーペンハウアーに似ている。彼もまた、「認識できないことについて、あえて語ろうとするのが形而上学である」、と書いている(「意志と表象としての世界」)。

 「西洋文化が滅びる」といっても、西洋人、そして西洋文化に染まった世界じゅうの人々が生物学的に滅びる、というわけではない。新しい文化に西洋文化が呑み込まれる、とシュペングラーは言っているのだ。

 どんな文化にも寿命がある、と彼は言う。文化はある時から内的な成長が止まり、文明(文化の中の物質的・技術的な要素)ばかりが目立つようになる。代表的な例が、都市だ。そこでは知性と貨幣がもてはやされるが、やがて人々はそれらに飽きて、宗教に回帰する(第二宗教性)。これが、文化の末期の姿だという。

 もしかしたら、23世紀のいつか、マヤの予言のようにシュペングラーの予言が話題になる日が来るかもしれない。かなり誇張された形で、だが。
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世界宗教史4

2012-10-07 16:12:39 | 

を読む。ミルチア・エリアーデ著。ちくま学芸文庫。

 「聖なる知恵の人格化」。「預言者以後、歴史は宗教的意味を担うものとなった」。「歴史上の事件は、イスラエルの政治的運命を変えたり定めたりすることによって、救済史における重要な瞬間をも構成しうるものであった」。だが・・・・・・。

 「歴史的現実においては理想はなく、ただ事実があるだけである。理由もなく、正義もなく、和解もなく、最終目的もない。あるものはただ事実だけである」(シュペングラー「西洋の没落」)、と言われるようになって、100年になる。最後の審判は訪れず、人間はただチマチマと、滅びていくだけだ。

 ユダヤ・キリスト教の宗教的な歴史観は、いずれ忘れ去られるだろう。代わって、「宇宙は1年ごとに更新され、季節の移り変わりが果てしなく続く」、という古代の循環論が復活するのではないか。ともかくこっちの方が、確実なのだから。

 いや、とっくの昔にそうなっているのか。

 

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DVD

2012-10-05 17:02:49 | アニメ・ゲーム

「テイルズ オブ フェスティバル 2012」が発売。だが・・・・・・。

 アマゾンのレビュー欄がすごいことになっているのにゃ。初日の模様がカットされていて、大勢のファンが泣いているのだが、これってもしかして・・・・・・。

 ファンを巻き込んでの、大がかりな「プレー」なのですか、子安さん? さすが! さすがだわっ!! 
 
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世界宗教史4

2012-10-02 17:38:13 | 

を読む。ミルチア・エリアーデ著。ちくま学芸文庫。

 「行為の果実を放棄すること」。「バガヴァッド・ギーター」における、クリシュナ(ヴィシュヌ神)の教え。「非人格的に、激情も欲望ももたずに、まるで他人の代理であるかのように行為せよ。そうすればカルマ(業)から逃れられる」。このように現世での行為を認める点で、ヒンドゥー教は現世忌避の仏教と異なる、という。だが・・・・・・。
 あれだけの人口があって、どうしてインドはオリンピックでメダルが獲れないのか。その原因がわかったような気がするにゃ。

 一般に、「インド・ヨーロッパ民族」というが、インド人が考え出したヒンドゥー教や仏教が「東洋思想」とされるのは、どうしてなのだろう。ヨーロッパ文化の基礎と考えられているキリスト教も、もともとはセム人の宗教だ。東洋と西洋の区別は、かなりいい加減なものなのかもしれない。
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