ドラマ 「 嫌われる勇気 」 に、日本アドラー心理学会が抗議。放送の中止か脚本の大幅な見直しを求めているという。
まるで宗教団体のような大げさな反応ぶりだが、自分たちの方こそ、フロイトやユングの説を歪曲して ( 原因論だの、決定論だの ) 一般に広めているではないか。彼らにしても、心の問題の解決を放棄しているわけではないのだ。
「 自分は自分の運命の主人である 」( アドラー )? これこそ、究極の 「 決定論 」 ではないか。予めそういう風に決まっているのか。どうしてそんなことが言えるのか、ぜひ科学的に証明してみせてほしい。証明できないのなら、「 心理学 」 の看板を降ろさなければならない。
何か都合が悪いことがあるとアドラー派の人たちは 「 誤解だ 」 と言うが、「 誤解 」 されることが多いのは、アドラーの理論がそれだけいい加減だということの証明ではないだろうか。
アドラー派 ( アドラー信者? ) の説を聞いていると、どうしても 「 臭い物にフタ 」 という言葉が頭に浮かんでくる。だが、「 無意識を無視し続けると、意識は必ず無意識によって復讐される 」。ユング派のワシからの忠告にゃ。