松本地区原水禁と脱原発1000万人アクション松本は、東日本大震災・福島第一原発事故以降、現地調査、仮設保育園への支援、除染作業などを行い、2012年からは「脱原発ツアー」をくんで、いわき市で楢葉町の仮設住宅にお住いの皆さんや原発労働者との交流、現地視察を行ってきました。
一方で、8月の原水禁の公開講座では南相馬の安心・安全プロジェクトの吉田邦博さんや、いわき市議で原発労働者安全センターを立ち上げた狩野光昭さんを招いて講演会も開催してきました。
この間、脱原発ツアーをコーディネイトしていただいている狩野光昭さんが2期目のいわき市議選をたたかっているということで、応援に行ってきました。
私の梓川後援会長の中沢規泰さんが丹精込めてつくられている米・北あかり・アンデス・玉ねぎや、波田の荒井宏行さん(元松本地区労組会議事務局長)からの差し入れのスイカを携えていってきました。
狩野光昭さんは、原発被害と直接向き合い「下請け原発労働者の賃金や安全手当未払い問題」や「放射能からの労働安全衛生環境の問題」に取り組み続け、原発企業と交渉を行ってきました。他にも化学物質過敏症の問題、育休退園の問題など市民の声を聴き、解決のため市政に働きかけてきました。心から応援をしています。(写真は、総決起集会で奥様と)
いわき市に行ったついでに南相馬から飯舘村を回りました。2015年3月1日に開通した常磐自動車道を北上。福島第一原発に最も近いエリアは自動二輪の走行が禁止されている。その場所での空間放射線量は3.7マイクロシーベルト。原子力緊急事態宣言のもとで、追加の被ばく量が年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げられ、時間当たりの制限が0.19マイクロシーベルトから3.8マイクロシーベルトに引き上げられたことになる。そのギリギリの値。今回は線量計を持参しなかったので次回は計測をしたい。
3.11のあと支援に入った仮設の保育園や飯舘村役場に寄りました。除染など復旧はいまだ続いています。
最初に、津波によって破壊された堤防は、再建され公園の整備工事が行われていました。市内の各所で除染作業が行われていて、汚染土を入れたフレコンパックが積み上がっています。耐久期限が切れたフレコンパックにはさらに厚めのビニールシートがかけられていました。
飯館村役場の前にあるモニタリングポストの値は2011年6月21日は「3.92マイクロシーベルト」で、当時役場の機能は福島市飯野に移されていました。今回は「0.4マイクロシーベルト」でかなり下がっていて、役場の中で仕事に励む職員の皆さんの姿がありました。
今回は、時間の関係で車で市内を走って状況を視察するにとどまりましたが、11月に予定されている第4回脱原発ツアーでは、いわき市に加え南相馬にも行くことになっていますので、あらためて交流をして来ようと思います。
ツアー参加希望者は社民党松本総支部までご連絡ください。33‐1700中川まで。