リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

リュートという楽器 (4)

2005年01月30日 03時36分27秒 | 随想
 17世紀に入ってヨーロッパの音楽シーンがバロック時代を迎えるにつれて、リュート自身も時代に対応し変化し始める。これらの変化はフランスで起こった。17世紀に入る頃からリュートの弦の数が増え始め、特にフランスでは調弦自体もあたらしい調弦方法がいくつか試みられるようになったのだ。これらの変化を、リュートが絶頂期から滅亡の道を歩み始めた端緒ととらえる向きもあるが、むしろ当時の音楽の変化に巧みに適応してよりパワーアップした結果ととらえる方が正しいだろう。リュートが音楽シーンから消え去ったのは変化していく音楽の様式や演奏会のあり方に適応できなかったのが原因なのだから。
 フランスでの様々な試行の結果、ある一つの新しい調弦システムを持つリュートが生まれる。それが今私がメインで演奏しているバロック・リュートと現代では呼ばれる楽器だ。もちろんその当時、旧来のタイプから派生した調弦システムの楽器も平行して使われていたが、ソロ作品に関しては圧倒的にこの新しいタイプ楽器のものが多くなって行く。そしてその隆盛はその当時の鍵盤楽器に大きな影響を与え、ほどなくリュートは主役の座から降りることになる・・・とはよく音楽史なんかには書いてあることだが、もちろんリュートはそのあとのドイツバロック音楽に引き継がれ、二人の偉大な音楽家によってリュート音楽最後の巨大なモニュメントがうち立てられるに至る。その偉大な音楽家とは、シルヴィウス・レオポルド・ヴァイスとヨハン・ゼバスチャン・バッハだ。