その後(17世紀中頃以降)「何らかの方法」でガット弦の質量を上げる方法(=弦長を短くできる)が開発され、バス弦は短くなり、160cmもあるようなバス弦の弦長を持つ楽器は作られなくなりました。
これらは歴史的な事実であり、私たちはこのことを深く肝に銘じておかなくてはなりません。ではその「何らかの方法」というのはどういう方法なのか、これがわからないのです。そういった弦の呼称とか色目なんかはいくつかの文献※や絵画に出てくるのですが、具体的にどういう製法であったのかはよくわからないのです。
簡単に言えばヴァイスはどのように作られたバス弦を使っていたのか、こんな単純とも言えることがいまだに解明されていないのです。というか資料不足で、かつ伝統も途絶えていますので、過去の資料から再現は難しいと思います。20世紀初頭のガット弦の伝統は伝えられていますが、それらは18世紀のものとは異なるのです。
ではどうしたらいいのでしょうか。
※例えば、
(1)ロバート・ダウランド著「とりどりのリュート曲撰」(1610)
バス弦で一番いいのは二重巻きのものです。これらはロンバルディアのボローニャで作られそこからヴェニスに送られます。そこから市場に輸送されるので、一般的にそれらはヴェニス・ガット弦と呼ばれています。
(2)トマス・メイス著「音楽の記念碑」(1676) P.65-66
ピストイ・バス弦と呼ばれる別の種類の弦があります。それは太い「ヴェニス・ガット弦」に他ならないと私は考えていますが、(ピストイ・バス弦は)通常深紅に染められています。
(いずれも中川訳)
注の注:
ロバート・ダウランドはルネサンス・リュートの時代です。7コースかせいぜい8コースの楽器で最低音はDです。通奏低音の時代に入る直前で、それほどバスの動きは多くありあません。トマス・メイスの時代は11コースのバロック・リュートの時代。(他の調弦も存在していましたが)最低音はCで、より低音の動きは多くなってきている時代です。
これらは歴史的な事実であり、私たちはこのことを深く肝に銘じておかなくてはなりません。ではその「何らかの方法」というのはどういう方法なのか、これがわからないのです。そういった弦の呼称とか色目なんかはいくつかの文献※や絵画に出てくるのですが、具体的にどういう製法であったのかはよくわからないのです。
簡単に言えばヴァイスはどのように作られたバス弦を使っていたのか、こんな単純とも言えることがいまだに解明されていないのです。というか資料不足で、かつ伝統も途絶えていますので、過去の資料から再現は難しいと思います。20世紀初頭のガット弦の伝統は伝えられていますが、それらは18世紀のものとは異なるのです。
ではどうしたらいいのでしょうか。
※例えば、
(1)ロバート・ダウランド著「とりどりのリュート曲撰」(1610)
バス弦で一番いいのは二重巻きのものです。これらはロンバルディアのボローニャで作られそこからヴェニスに送られます。そこから市場に輸送されるので、一般的にそれらはヴェニス・ガット弦と呼ばれています。
(2)トマス・メイス著「音楽の記念碑」(1676) P.65-66
ピストイ・バス弦と呼ばれる別の種類の弦があります。それは太い「ヴェニス・ガット弦」に他ならないと私は考えていますが、(ピストイ・バス弦は)通常深紅に染められています。
(いずれも中川訳)
注の注:
ロバート・ダウランドはルネサンス・リュートの時代です。7コースかせいぜい8コースの楽器で最低音はDです。通奏低音の時代に入る直前で、それほどバスの動きは多くありあません。トマス・メイスの時代は11コースのバロック・リュートの時代。(他の調弦も存在していましたが)最低音はCで、より低音の動きは多くなってきている時代です。