リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

楽曲の成立とその時代的変化

2020年06月03日 18時08分30秒 | 音楽系
ガット弦に思う(4)のコメントの続きになります。本文、コメントを最初からお読みください。とても興味深い内容になりましたので、沢山の方に読んでいただきたく新たにエントリーしました。

「楽曲の成立とその時代的変化」

(前フリ)
当時の楽曲成立の概念が現代とは少し異なると言うことは知っておく必要があります。当時のひとつの楽曲というのは概念的なものであり固定的なものではないと考えると分かりやすいかも知れません。

(William ByrdeのPavana Brayとその「編曲」)
例えばW. バード作曲のPavana Brayという曲がありますが(Fitzwilliam Virginal Book)、それをF. カッティングが「編曲」しています。(Cambridge Dd.9.33)この「編曲」はバードの曲をディミニューションに至るまで忠実にリュートに移そうとしたものではありません。三部形式の各部前半は比較的原曲の流れに基づいていますが、繰り返しでは全くリュート独自のディミニューションを展開しています。こういった「編曲」をすることを当時の言い方で set と言います。(arrange ではありません)Dd.9.33には「A Pavan Mr Byrde set to lute by Fr. Cuttiing」という表記があります。(Pavana Brayではありませんが)

この様なやり方はリュートからヴァージナルという逆方向もありますし、リュートからリュートという場合もあります。ひとつのリュート曲が主に筆写で伝播していく過程で、ディミニューションに手を入れるというのはごく一般的なことです。

(私の見立て)
私はラクリメ・ガリヤードを「スタイル的に見てジョンではない」と書きましたが、もう少し補足的に言いますと、原曲はジョンだがディミニューションのスタイルからするとジョンの手ではない、ということです。

(ロバートかも、同じフレーズが)
では誰がということになりますが、ロバートの可能性が高いのではと思います。ロバートのディミニューションの書き方はジョンとはかなり異なり、時代的な新しさを感じさせるものです。「とりどり・・・」のパヴァン7番はロバート作品です。この曲の18小節目(前半の最後の小節)は、同曲集パヴァン1番「ヘッセン方伯自らの御手になるパヴァン」14小節目と全く同じフレーズです。この「ヘッセン方伯自らの御手になるパヴァン」のディミニューションの書き方は、ロバートの第7番ととてもよく似た手法を使っていますので、こちらもロバートの手によるものだと見ています。

(ロバートのディミニューション、もうひとつ例)
もうひとつ例を挙げておきましょう。「とりどり・・・」のガリヤード第6番、The right Honorable the Lady Cliftons Spirit です。(7コース用)この曲の作者は明記されていませんが、Dd.2.11にK Darcies Spirite J:Dowlという題名で同じ曲が筆写されています。(6コース用)Dd.2.11の成立時期(c1588-c1600)からしてロバート(1591?-1641)作という線はまずありえないでしょう。

Dd.2.11のヴァージョンにはティミニューションは書かれていません。「とりどり・・・」所収のCliftons Spiritには念入りなディミニューション(どちらかというとスティル・ブリゼに近いです)がそのスタイルはパヴァン7番よく似ています。従ってCliftons Spiritはロバートが父親の作品にティミニューションを施して自分の著書に掲載したと見ることができます。題名が変わった経緯については何のてがかりもありませんのでよく分かりません。

(ラクリメ・ガリヤードに戻って)
さて件のラクリメ・ガリヤードですが、ディミニューションのスタイルが上述の2曲にとてもよく似ています。この手法はダウランドの同時代人ではなく次の世代の人達のスタイルで、例えばロバート・ジョンソンとかフランスのロベール・バラールあたりとよく似た手法です。ジョンがディミニューションを書いたならばこういった手法では書きません。ラクリメ・ガリヤードの第1部の繰り返し冒頭(11小節目)とか第2部繰り返し冒頭(32小節目)なんかとても斬新な感じでカッコいいですが、これらの部分は若きロバートが9コースの楽器用に書いたものだというのが私の見立てです。以下は裏付けのない妄想ですが、各部の前半部もロバートが手を入れているかも知れませんし、そもそもパヴァンからガリヤードにしたのもロバートかも。父親が最後になるリュートソング集を出すにあたり、若くて才能あふれる息子にパヴァンを元にガリヤードを書かせそれを掲載した・・・しかしロバートの名は出さない。現代の作曲家でもよくある話ですが、有能な弟子にオーケストレーションをさせて弟子の名前は出さず師匠の名で出す話、ゴーストライターではありません、弟子を育て世に出すためです。閑話休題。

(中世ルネサンス時代の曲の成り立ち)
中世からルネサンス初期あたりでは、テナーの旋律(定旋律)に対旋律を2つ3つ付けるという作曲の手法がありました。曲の概念があり、それを具現化したものが楽曲であり、それらは全て定旋律の名前で呼ばれていました。これらは共通の遺伝を持った異性体ということができます。ルネサンスの後期においても手法は異なりますが、楽曲の成立概念に関しては先に述べましたように現代とは異なっていて、例えばこれが唯一無二の「エセックス伯のガリヤード」だというものはありません。

(時代の変化)
それとダウランド親子が生きた時代は音楽の様式が劇的に変化しつつあった時代で、特にジョンの晩年、息子の青年期はイギリスにもその変化の波が押し寄せてきた時代でした。ただイギリスにおいてはその変化の波は大陸より少し遅れてきたため、曲はルネサンス様式は色濃く残すもディミニューション(ヴァリエーション)は新様式といった折衷型であったのは興味深いことです。

(お薦め)
この時代のダイナミックな動きは、当時の写本や印刷本に収められている楽曲を沢山弾いてみることで体得できるのではないかと思います。ただ資料が沢山ありすぎるので、代表的なところだと、Cambridge Dd.2.11写本(イギリスの最盛期ルネサンス様式)、同Dd.4.22(イギリスの新しい様式の息吹)、ロベール・バラールの作品(ごく初期のバロック様式)、エヌモン・ゴーティエの作品あたりを見てみるのはどうでしょうか。楽器も3通り必要ですし、楽譜も探すのが大変かもしれませんが、得るところは大きいと思います。