リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

楽翁公百年祭記念宝物館

2022年05月03日 17時16分34秒 | ローカルネタ
楽翁公とは松平定信のことです。定信は桑名に来たことがなかったのですが、白川藩主だった嫡男の定永が桑名になったとき(1823年)文化人だった父の定信の薫陶を受けた家来も来桑したため桑名の文化レベルがぐっと上がったと言われています。

私の母校の小学校(旧第一尋常小学校)の校歌は「楽翁公の明徳はわれらがこころの鏡なり、清き梅花の校章※はわれらがこころの姿なり」という歌詞で、楽翁公頌歌になっています。普通校歌ってだいたい近くにある山や川に関する内容をうたうのが通り相場ですが、桑名で最初の尋常小学校ということで気合をいれて楽翁公を称える歌詞にしたのでしょう。※松平定信の家紋である梅鉢文様です。

その楽翁公松平定信没後100年に際して今の九華公園内に作られたのが楽翁公百年祭記念宝物館です。第二次世界大戦の桑名空襲にも耐え現存しています。九華公園は桑名城跡に作られた公園です。その宝物館の開館日は年に2日、5月2日と3日のみという織姫彦星の逢瀬並みのレアさです。

今日がちょうど5月3日だと気がついた私は、すぐに出かけようとしたのですが、宝物館の開館は同時期に行われる金魚祭の一環で行われるためそもそも今年は金魚祭があるのかどうかが問題です。Webで調べたら今年も開催されません、とありました。でもひょっとして宝物館だけは開いている可能性もあるかも知れないので、天気もいいことだし現地に出掛けてみることにしました。

どうせ行くのなら昔の道を通っていこうということで、まず通ったのがこの道。

ここは江戸時代はお堀だったところです。昔の堀の痕跡はほとんど残っていませんが、お寺の横にあるこの石組みの崩れたのがその痕跡かもしれません。


吉津門の跡の桝形の道を通り抜け、


桑名城のお堀が残っているところを通ります。



下の写真の左部分に写っている2つの建物あたりは、バロック・ヴァイオリンの小野萬里さんの高祖父のお屋敷があったところです。このあたりは桑名藩の重鎮が屋敷を構えていたところ。道の向こう右すぐに桑名城入り口、画面右下左は現在の立教小学校です。


さていよいよ桑名城内に入ります。金魚祭が開催されていればここに沢山お店がならびます。


いよいよ宝物館です。

しかし残念ながら開いていませんでした。まぁそうですわね。ついでですの九華公園をぐるっとまわってみました。

これは辰巳櫓跡です。戊辰戦争で負け方になった桑名藩はここに建っていた三重の櫓に火を放って恭順を示したとされます。上の方に見える大砲もこの櫓にあったものでしょう。大砲の砲身が城内、侍屋敷の方に向いています。これは恐らく180度反対側(敵がせめてくるかも知れない海側)に向いていたのをもう戦わないことを示す意味で正反対の方向に向けたのかも知れません。


これは戊辰戦争後の明治20年に天主台跡に建てられた戊辰殉難招魂碑。「忠ナルカナ義ナルカナ・・・」と刻まれています。


せっかくここまできたので、桑名城三の丸跡にあるスーパーで牛乳を買って帰りました。