高校時代、倫理社会の授業で哲学の片りんをかじってから、岩波文庫の「弁証法十講」を読んでみた。しかし、いくら読んでも意味が分からなかった。(量が大きくなると、質が変わるというような主張はなんとなく分かった。)
私が名古屋で医者になったころ、名古屋には優れた精神病理学者が集まっており、名古屋学派と呼ばれていた。
その前から、精神病理学に哲学的思考を導入することが流行っていて、ハイデッガーの哲学を基礎に置いたドイツ人精神病理学者の本がよく読まれていた。そして先輩たちはドイツ語に堪能で、原書のままで読む人もいた。翻訳が不可能だという人さえあった。
確かにわが国の哲学者、市川浩の「<身>の構造」を読むと、「身」イコール「み」という単語を「音」として知っていないと理解できない著述で、外国語に翻訳不可能だと思われた。だから逆に外国語の哲学を日本語に翻訳することは不可能な場合もあるかもしれないと思った。(じっさい、Sain=英語のbe動詞を名詞化したものを「存在」と訳してあるから、そういったルールを知らなければ、理解できるはずもなかった。)
当時、よく読まれていたドイツの精神科医ビンスワンガーの「スキツォフレニー」の翻訳を読んでみたが、まったく歯が立たなかった。訳者は名だたるドイツ語使いの精神科医たちで、この本の難解さを翻訳の悪さに帰することはできなかった。これではいけないと思い、哲学科のある近隣の大学に聴講生として授業を受けた。精神医学界では時まさにフーコー、メルロ=ポンティ、ドゥルーズ、ガタリ、レヴィナス、ロラン・バルトなどのフランスの哲学者の著作が読まれていた。サルトルなぞは一般の人々にさえ読まれていた。
ところが大学の哲学科では、上記の新しい思想を講義する講座がひとつもなかった。名古屋大学の哲学科はすべて古代ギリシャ哲学の講座だった。南山大学の哲学科もほとんどが古代ギリシャ哲学の講座だったが、南山大学の講座の中にひとつだけヘーゲルの講座があったので、その講義を一年間聴いた。
講義内容はヘーゲルのエンチクロペディーについて重箱の隅をつつくようなものであり、ヘーゲルの思想の全体像をつかむことはできなかった。
それ以前からわが国ではサルトルの実存主義が大流行しており、サルトルがノーベル文学賞を拒否したことも手伝って、多くの学生がサルトルの著作を読んでいた。だが、私にはサルトルの哲学が理解できなかった。
そのころ、ある識者がサルトルについて、「この私が理解できないのだから、10年もつはずがない」と言った。そして識者の言ったとおり、サルトルの哲学は10年後にはわが国では顧みられなくなった。
相前後して、フランスのヴァンサン・デコンブという哲学者が、当時の存命の哲学者たちの解説本を出した。そのまえがきに「本書は新しい哲学を解説するものではない。流行している哲学を解説するのだ」とあった。私は「そうか!新しいかどうかではなく、流行していることが重要なのか」と憑き物が落ちたような気持になった。
そして、ふたつのことが分かった。ひとつは大学の哲学科で新しい哲学を教えずに古代ギリシャの哲学ばかり教えるのは、それらが歴史の風雪に耐えたからだということ。最高学府では当世流行の海のものとも山のものとも分からない思想なぞ相手にしないのだ。もうひとつは、サルトルの哲学を理解している日本人はきわめて少ないかゼロであったことだ。もしかしたら、翻訳者さえきちんと理解していなかったから、それを読まされた者はさらに理解できなくなったのではないかということである。
サルトルの術語を使って議論していた学生たちは、じつは何にも分かっていなかったのだ。学生たちの心性を「知的虚栄心」と呼ぶ。ただし、「知的虚栄心」は、実はとても大切なものだということも言い添えておかなくてはならないだろう。
私が名古屋で医者になったころ、名古屋には優れた精神病理学者が集まっており、名古屋学派と呼ばれていた。
その前から、精神病理学に哲学的思考を導入することが流行っていて、ハイデッガーの哲学を基礎に置いたドイツ人精神病理学者の本がよく読まれていた。そして先輩たちはドイツ語に堪能で、原書のままで読む人もいた。翻訳が不可能だという人さえあった。
確かにわが国の哲学者、市川浩の「<身>の構造」を読むと、「身」イコール「み」という単語を「音」として知っていないと理解できない著述で、外国語に翻訳不可能だと思われた。だから逆に外国語の哲学を日本語に翻訳することは不可能な場合もあるかもしれないと思った。(じっさい、Sain=英語のbe動詞を名詞化したものを「存在」と訳してあるから、そういったルールを知らなければ、理解できるはずもなかった。)
当時、よく読まれていたドイツの精神科医ビンスワンガーの「スキツォフレニー」の翻訳を読んでみたが、まったく歯が立たなかった。訳者は名だたるドイツ語使いの精神科医たちで、この本の難解さを翻訳の悪さに帰することはできなかった。これではいけないと思い、哲学科のある近隣の大学に聴講生として授業を受けた。精神医学界では時まさにフーコー、メルロ=ポンティ、ドゥルーズ、ガタリ、レヴィナス、ロラン・バルトなどのフランスの哲学者の著作が読まれていた。サルトルなぞは一般の人々にさえ読まれていた。
ところが大学の哲学科では、上記の新しい思想を講義する講座がひとつもなかった。名古屋大学の哲学科はすべて古代ギリシャ哲学の講座だった。南山大学の哲学科もほとんどが古代ギリシャ哲学の講座だったが、南山大学の講座の中にひとつだけヘーゲルの講座があったので、その講義を一年間聴いた。
講義内容はヘーゲルのエンチクロペディーについて重箱の隅をつつくようなものであり、ヘーゲルの思想の全体像をつかむことはできなかった。
それ以前からわが国ではサルトルの実存主義が大流行しており、サルトルがノーベル文学賞を拒否したことも手伝って、多くの学生がサルトルの著作を読んでいた。だが、私にはサルトルの哲学が理解できなかった。
そのころ、ある識者がサルトルについて、「この私が理解できないのだから、10年もつはずがない」と言った。そして識者の言ったとおり、サルトルの哲学は10年後にはわが国では顧みられなくなった。
相前後して、フランスのヴァンサン・デコンブという哲学者が、当時の存命の哲学者たちの解説本を出した。そのまえがきに「本書は新しい哲学を解説するものではない。流行している哲学を解説するのだ」とあった。私は「そうか!新しいかどうかではなく、流行していることが重要なのか」と憑き物が落ちたような気持になった。
そして、ふたつのことが分かった。ひとつは大学の哲学科で新しい哲学を教えずに古代ギリシャの哲学ばかり教えるのは、それらが歴史の風雪に耐えたからだということ。最高学府では当世流行の海のものとも山のものとも分からない思想なぞ相手にしないのだ。もうひとつは、サルトルの哲学を理解している日本人はきわめて少ないかゼロであったことだ。もしかしたら、翻訳者さえきちんと理解していなかったから、それを読まされた者はさらに理解できなくなったのではないかということである。
サルトルの術語を使って議論していた学生たちは、じつは何にも分かっていなかったのだ。学生たちの心性を「知的虚栄心」と呼ぶ。ただし、「知的虚栄心」は、実はとても大切なものだということも言い添えておかなくてはならないだろう。