私が小学校低学年だったか、歯医者の待合室で子供向けの本を読んでいた。そこにはカイツブリという鳥の生態が書いてあった。
中に一か所だけ「カイブリ」と印刷してある部分があった。小学校低学年だから、それが誤植とは分からない。そもそも「カイツブリ」でさえ初めて出会った鳥の名前だ。だから、少年の私は「カイツブリ」という鳥と「カイブリ」という鳥が別々にいるのだと思った。そのため、その記事全体の意味が分からなくなった。
「カイツブリ」と「カイブリ」の謎が解けるまで、その後何年も要した。たった一か所の誤植だが、なんの罪もない少年を苦しめるのには十分だった。活版印刷からワープロ印刷になって、活字が横向きになるような誤植はなくなったが、文字を落とす誤植はなくならない。
俳句の会(句会)では、短冊に書いた俳句をシャッフルしてから清記をしなおす。その俳句が誰の作か筆跡から推察できないようにするためだ。俳句は短いから、一文字でも違うとまったく別の俳句になってなってしまう。そのため、清記にはみなが細心の注意を払う。
でも、清記下手の人はどこにでもいて、句会には「あの人に清記されたら、もう選句されない」と出句者が諦めるような人が必ずいる。清記が間違っていると指摘する時間は句会にはない。
私が所属する俳句結社の会誌は、たぶんまだ活版印刷だろうと思われるのだが、俳句が間違えて印刷されることはまずない。係りの人がボランティアでそうとう注意深く校正しているとしか思えない。俳句結社は趣味の会だし、参加者も年金生活者が多いので、会費がとても安い。それなのに、まったく誤植のない会誌を出していることに脱帽の念を禁じ得ない。
中に一か所だけ「カイブリ」と印刷してある部分があった。小学校低学年だから、それが誤植とは分からない。そもそも「カイツブリ」でさえ初めて出会った鳥の名前だ。だから、少年の私は「カイツブリ」という鳥と「カイブリ」という鳥が別々にいるのだと思った。そのため、その記事全体の意味が分からなくなった。
「カイツブリ」と「カイブリ」の謎が解けるまで、その後何年も要した。たった一か所の誤植だが、なんの罪もない少年を苦しめるのには十分だった。活版印刷からワープロ印刷になって、活字が横向きになるような誤植はなくなったが、文字を落とす誤植はなくならない。
俳句の会(句会)では、短冊に書いた俳句をシャッフルしてから清記をしなおす。その俳句が誰の作か筆跡から推察できないようにするためだ。俳句は短いから、一文字でも違うとまったく別の俳句になってなってしまう。そのため、清記にはみなが細心の注意を払う。
でも、清記下手の人はどこにでもいて、句会には「あの人に清記されたら、もう選句されない」と出句者が諦めるような人が必ずいる。清記が間違っていると指摘する時間は句会にはない。
私が所属する俳句結社の会誌は、たぶんまだ活版印刷だろうと思われるのだが、俳句が間違えて印刷されることはまずない。係りの人がボランティアでそうとう注意深く校正しているとしか思えない。俳句結社は趣味の会だし、参加者も年金生活者が多いので、会費がとても安い。それなのに、まったく誤植のない会誌を出していることに脱帽の念を禁じ得ない。