院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

シリーズ「日米同盟と原発」(中日新聞)

2013-02-27 00:04:09 | マスコミ
 中日新聞に不定期に連載されている表題の記事は、商業新聞としては珍しく極めて読み応えのあるものである。

 日本における原発を、ルーツからたどり、どうして現状の原発行政が生み出されたかを述べている。

 原子力委員会の初代委員長は正力松太郎であることは、よく知られている。だが正力が原発の輸出元のアメリカ側も驚くほどのブルドーザーのような実行力で、原子力の平和利用を推進したかはあまり知られていない。

 正力が激しく活動できた陰にはひとりの知恵者がいたと記事は説く。その知恵者(記事には名前が書いてあるが私は失念)は、唯一の原爆被爆国として、また第五福竜丸事件で原爆には痛い目に遭っている日本人に原発を認めさせるために「毒をもって毒を制す」と進言し、成功させた人物である。

 「原子力には原子力で」という意味だ。原子力の平和利用は、原爆の脅威を知っている日本国民に、意外にすんなり受け入れられたという。私の小学校時代の教科書には「第三の火」として原子力が紹介されていた。こうして、大人から子どもまで原子力を肯定的に受け止め、原発推進は上々の滑り出しをした。

 昭和39年に毛沢東支配下の中国が初めて核実験をした。核保有国が一国増えたわけで、日本政府はこれを脅威と感じた。このころ佐藤栄作首相が非核3原則を示し、日本は核兵器に関与しない旨をおおやけにした。

 このとき、また別の知恵者が現れた(名前失念)。彼は非核3原則の代償として、原発を推進することとロケットの開発を進めることを提案した。その心は、原発の技術があれば容易に核爆弾が造れること、ロケットがあれば容易に大陸間弾道弾が造れることだった。

 表向きは非核3原則で平和主義を標榜し、一方では原発を推進して「日本はいつでも原爆を造れるが、あえて造らない」という態度を世界に表明し、牽制した。

 いまやH2ロケットが成功し、原爆は少しの時間で造れる。こうして、我が国は外国にとって「隠れ核保有国」になっていると、記事は説いていた。

 歴史資料にもきちんと当たっており、立場は極めて中立である。このシリーズの担当は、寺本政司、北島忠輔、谷悠己の3記者だが、私よりもよほど若い人たちだろう。そのような人たちが知恵の粋を集めてこのような記事を書いていることにエールを送りたい。

 マスコミ嫌いの私がこれほど褒めるのだから、一度原文を読んでみてほしい(そのうち単行本になるかもしれない)。脱原発を莫迦のひとつ覚えのような党是にしている政党の人たちは、この記事を読んで、原発問題は一筋縄ではいかないことを、しっかり学んでほしいと思う。